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書くことと、伝えること。

金曜ロードショーの2週連続ヴァイオレット・エヴァーガーデン、良かったですねえ。
京都アニメーションの繊細で秀麗なアニメーション、そしてキャラの心情を分かりやすく描写する綺麗な脚本、なんというか"ジャパニメーション"って感じでグッと来ますね。

今回は放送されなかった2つ目の劇場版作品は、昨秋劇場公開されていました。
少し遠くにいる知り合いを訪ねたときに、たしかショッピングモールの中にあるイオンシネマで見ました。僕がゴリ押しで見ようと勧めたので知り合いは本編未視聴でしたが、見終えた後「泣きそうだった。良い作品だった」と言ってもらえたのを覚えています。

あの劇場版は、「伝えること」がテーマだったように思います。何をどう伝えるのかを掘り下げた、綺麗な作品でした。


僕は、言葉を話して人に何かを伝えることがとても苦手です。
自分の感情やその理由を説明できなかったり、言わなければいけないことが全然出てこなくて言葉に詰まったりすることが良くあります。

友人関係であればそれでも問題ないんでしょうが、仕事上のトークであったり、初めて会う方と話すときは、そういう恐れがあってとても緊張してしまいます。


そんな僕が人に何かを伝えたい時に使うツールとして、文章というものがあることを知ったのは、大学生になった頃でした。

元々文章を書くのは好きで、高校生の頃は鬼のような量の作文課題に加えて、生徒会での文書作成などをこなしてそこそこの経験を積んでいました。けれど、感情を込めたメッセージを載せた一つの作品のような文章を書くことはありませんでした。

そんな僕に、文章を自分の道具として扱えるようにさせてくれた3つの出会いがありました。


1.Twitter

一つ目はTwitterでした。
@gloveaceというアカウントは、2010年1月に作成したものを未だに使っています。

確かきっかけは、時の首相・鳩山由紀夫氏がTwitterを始めたとニュースで見かけたことでした。
総理大臣が何を呟くのか見てみたいという、読み手志向の理由からでした。しかし次第に趣味で色々なフォロワーと繋がり出会うようになり、アカウントを作って12年弱が経った今では、僕の人格をそのままコピーした第二の自分のような存在になっています。

Twitter上で人と交流をするようになってからは、@gloveace上で「自分のアカシックレコード」を作ることを意識していました。
アカシックレコードとは、世界の全ての事象や人の感情などを記憶したものという概念のことです(説明が雑ですみません……)。

後々このアカウントの発信内容を振り返ったときに、自分がそのとき何をしてどんな事を考えていたのかを知りたがると予想して、起きたことや思ったことを次々に書き連ねてツイートしていました。要するに、毎日日記のようなものです笑。

今振り返ると小っ恥ずかしいものばかりですが、回り回って、あの時期にたくさん自分の感情や思ったことを文章にして吐き出していたことが、後々の文章を書くことの下地を作っていたように思います。


2.作文添削のアルバイト

詳しくは言えないんですが、学生の頃やっていたバイトの一つに中高生の作文添削がありました。
塾講師をちょろっとやっていた時に、自分の生徒に試しに作文を書かせてみたら、読むのも添削するのも楽しくて、意外と自分に向いているかもしれないと思っていました。

その子がどういう背景を持っているのか、どんな事を考えているのか、作文なんてめんどくさいと思いながら書く子が書く文章はどんなものなのか、全部面白がりながら添削していました。
確か、繁忙期には毎日12時間以上オフィスにこもって一心不乱に添削していました笑。

添削をしていると、自然と文章の作法が身につきました。
noteではあまり作法に則った文章を書いてはいませんが、一応"知っている"・"書こうと思えば書ける"という後ろ盾を得られました。

また、稀にいる途轍もない文才を放つ作文に出会うことが刺激的でした。
作法の正しさこそまちまちですが、文才を感じる作文はすぐに他との違いに気付きます。ある程度流れが決まっている数百字の中で、引き込まれ、1本のドラマを見たような読後感を与えられます。

そうした作文に出会うと、その文章を褒め称える添削をするために、どの表現が自分を魅了したのかを分析する作業をして、それを自分の言葉で書いて伝えていました。
いや、こんなこと出来るバイト、本当にお得でした。

そんなこんなで、働いてお小遣いを得ながら、色々な文章に触れる機会に恵まれていました。


3.少年ハリウッド

最後は大学2年のときに偶然出会ったアニメ、少年ハリウッド。この作品との出会いが僕の人生を大きく変えました。

少年ハリウッドは男性アイドルものの深夜アニメでした。そのため、当初は全く興味無く、見る予定はありませんでした。
しかし、ひょんなことからこのアニメと出会ってしまい、僕は"表現すること"が気になって、それを追究せずにはいられない人生になりました。
(少年ハリウッドとの出会いや内容については、いずれちゃんと記事を作ろうと思っています)

少年ハリウッドが僕を熱くさせた一つに、主人公・風見颯による作中のモノローグがありました。
これの破壊力が、とにかく凄かったんです。

気づかないうちに色んなものが用意されている日々は、いつまで続くんだろうと思うことがある 。
大人になって家を出て、一人暮らしをしても、それなりに働けば給料がもらえて、ちょっと行ってみたい場所なら、簡単に行けるかもしれない 。
それならこれが続いてほしいとも思う 。
でも、これがずっと続くかもしれないと思うと 、
胸のあたりが、少しだけざわざわする。
(第1話 「僕たちの自意識」より)
なんで僕はここにいるんだろう。
なんで大声で歌ったんだろう 。
なんで跳ねる心臓が、胸を叩いているんだろう 。
どんなに考えても答えは出ない 。僕は今日、自分が歌う理由をたった一つ見つけた 。
分からないから歌う。
分からないから声を上げる 。
分からないから、今僕はここにいる 。
こいつらと。
(第7話 「人生に人生はかけられない」より)

こんなモノローグやセリフが2クール続くんですよ。まあ凄い作品なんです。

学生時代は、少年ハリウッドを何回も何回も見直して、このモノローグを全話から書きとったりもしていました。カント哲学を手帳に書き記していたという若かりし渡邉恒雄の気持ちが何となく分かりました笑。

こうした熱いモノローグや、このアニメの原案・脚本を手掛けた作家・橋口いくよ先生の著書を読むようになり、自分がグッときた表現を自分の文章の中に落とし込んでいきました。




そんなこんなで、Twitterで文章を書く土台を得て、作文添削で肉付けをし、少年ハリウッドと出会って色を出せるようになり、僕の文章は今の形になりました。

もちろん、今も現在進行形で僕の文章は変わっています。けれど、口では上手く物事を伝えられない僕に、口の代わりにすらなるような文章という大事な道具をくれた出会いに改めて感謝しなければいけないと思いました。
そんな、秋の夜長に耽った話でした。
また今度、お読みいただけると幸いです。

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