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聖愚者・ジェルソミーナ「道」(原題:La Strada 1954年イタリア映画)

1954年に作られたイタリア映画「道」。

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とにかく、ジェルソミーナが可愛くて切なくて。いま考えてみると、ジェルソミーナは「知的に遅れのある」女性だ。横暴なアンソニー・クイン演じる旅芸人のザンパノにこき使われる。ザンパノに依存するしかない、無力な人格として描かれている。

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ジェルソミーナのしでかす失敗は、旅芸人の親方としては苛々の種だ。しかし、その悪意のなさに思わず笑ってしまう。天然のピエロだ。一生懸命やればやるほど、おかしくて切なくて。

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今思い出すだけでも胸が熱くなってくる。ジェルソミーナに深い愛情を感じてしまう。ザンパノも自覚していなかったが、心の底でそのようなことを感じ取っていたのだろう。映画の最後の慟哭はそのためだ。もうすべてが遅いのに。そこがいっそう切なさをかき立てる。

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現代の人権感覚から言えば、大変な虐待、人権侵害だ。こんな映画をいま作ろうと思っても絶対に作れない。あらゆる人権擁護団体から抗議が殺到するだろう。これがイタリア映画の古典的名作で、行政主導の「鑑賞会」などで取り上げられるのが面白い。

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NHKの教育テレビで初めて見たのかどうか。子供の頃見たと思う。大人になってから見たのは地元の市民会館で「鑑賞会」のような催しがあって「自転車泥棒」「鉄道員」などと一緒に大きなスクリーンで見た。もう、20年ぐらい前になるかな?

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最近またNHKのBSで見る機会があった。ザンパノの非道ぶりがやっぱり容認できないレベルだと思ったが、度を超えた悪ふざけをするお調子者の綱渡りと、からかわれることに我慢ができない、生真面目で不器用で古臭い芸人ザンパノとの、埋められないすれ違いから起きた悲劇、という見方ができた。

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ザンパノのジェルソミーナに対する仕打ちは本当に酷い。なのに、この映画が好まれ、繰り返し見られるのはなぜだろう。

俺の考えでは、やはり、ジェルソミーナの愛らしさなのだと思う。演技とは思えないジェルソミーナの、のろまぶりが心に残る。イタリア版「山下清・裸の大将」だ。

ジェルソミーナが深いところで横暴なザンパノを許し、心の底からザンパノを愛している姿に打たれるのだ。

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山下清氏は知的障碍をもった人だ。日常生活では周りの助けがないと過ごせなかったようだが、貼り絵や、絵画、日記などで多くの人に愛された。

氏の絵画一点を俺は所有している。花火の点描で「旅は道連れ 世は情け」と文字も書いてある。ほのぼのしていて笑ってしまう。

思わず笑ってしまうチャーミングな言動も多くの人に愛された所以だ。

テレビドラマにもなり、芦屋雁之助、ドランクドラゴンの塚地が演じて、高視聴率をとっている。

身の回りにたくさんいる知的障碍者たちの愛らしさ!!電車の車掌の真似をしている自閉症のいい歳をしたおじさん!まん丸の顔でにこにこ歩いてくるダウンの子供!見えない天使と話しているのではないかと思うほど、虚空を見つめぶつぶつつぶやいている真っ白な頬の自閉の美少女!

日常生活では援助を受けなくては生きていけない人々で、家族や周りの支援者たちの苦労も多いだろう。でもその関わる人たちにしか見ることのできない愛らしさ愛おしさもあるのだ。

なんて愛すべき人々なのだろう。知的障碍者のことを知れば知るほどそう思う。

知らないということ=「無知」が「偏見」を育て、「偏見」が「差別」を生む。

彼ら彼女たちは不完全に生まれてきた人たちではない。生まれてきたありのままで尊いのだ。

滝乃川学園の創立者、かつて鹿鳴館の華と呼ばれ、あの津田梅子とも教育分野での同労者でもある石井筆子も「人は人であることで神聖である」と言っている。

俺は全くその通りだと確信している。

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この映画になんらかの感興を覚える人は、実は心の底でそのことを認識しているのではないか、と密かに思っている。愚かな人から感じられる聖性を心の底で感じ取っているに違いない。


聖愚者というのは俺の造語だが、探してみると、ドストエフスキーの「白痴」の登場人物ユージーンという名前が聖愚者から来ていると言う。語源はロシア語の「聖愚者」юродивые(ユーロジーブィ)。ドストエフスキーの小説「白痴」(идиоM)の真の意味はこのユーロジーブィだそうだ。これは、日本語にはあてはまる「概念」も「言葉」もない。英語にも無いようだ。

シェイクスピアのマクベスの冒頭で魔女が言う台詞、
「Fair is foul, and foul is fair.」
「綺麗は汚い、汚いは綺麗」
聖愚者について言い換えれば、
「賢いは愚か、愚かは賢い」
と言うところか。

ドストエフスキー、シェイクスピアを出さなくても、こんなことはとっくにイエス・キリストが言っているではないか。

マタイによる福音書 5章の冒頭。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」

ここから始まって7章にまで及ぶ心打つ逆説は聖書中の聖書、イエス・キリストの山上の説教と呼ばれる箇所だ

その、マタイ5章8節

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」

ジェルソミーナのことを思う時、この聖句が響いてくるのだ。あの美しい音楽とともにザンパノに捨てられ儚く死んでいったジェルソミーナ!

でもまたこの作品を見返すことでジェルソミーナに会うことができる。永遠の聖愚者、ジェルソミーナ!!

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