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【ライフストーリーVol.15】やれることは沢山ある。自分の特長を生かした仕事選びを

中学1年生の時に韓国から来日し、現在はジュエリーの加工や補修を手掛ける会社の代表を務めている丁海賛(チョン ヘチャン)さん。今に至るまでには韓国軍への入隊、寿司職人、鳶職とさまざまな仕事を経験したそうです。その型にはまらない生き方から、外国ルーツの子どもたちに向けて仕事選びの際のアドバイスなどをいただきました。

日本語が喋れず友達が出来なかった日々

――丁さんが日本に来たのは中学1年生の時だと聞いています。

そうです。父は僕が生まれる前から日本で仕事していて、韓国にいる家族とずっと離れて生活していました。父が韓国に来るのは、多くても1年に2回ぐらい。僕は4人兄弟の長男なんですが、中学生になったタイミングで一度は家族全員で生活しようという話になって、みんな一緒に来日しました。

――中学生になるまで、日本語を勉強したことはなかったんですよね?

日本語力はゼロだったので大変でした。入学した中学校に外国人は自分1人で、最初のうちは通訳の人が隣に座って授業を受けていたんです。数学や英語は問題なかったのですが、国語や社会は背景が分からないので通訳されても全く理解できませんでした。思春期だったこともあり、授業中ずっと横にいられるのがとても嫌で、1カ月後には通訳を断ってしまいました。それからしばらくの間は、片言の英語で周りとコミュニ―ケーションを取るぐらい。言葉が出来ないので友達もできませんでした。

――日本語はどうやって学んだのですか?

あまりにも勉強ができなかったので、中学2年生の終わりごろに担任の先生に勧められて、外国ルーツの子どもにボランティアを行う「たぶんかフリースクール」に通うことになりました。それからは語学力が伸びて、中学3年生からは友達ができ始めました。勉強は数学と英語は学年トップの成績だったのですが、他がダメだったので推薦で面接だけ受かれば入れる高校を目指しました。たぶんかではずっと面接の練習をしていたのを覚えています。無事に高校に入学出来て、友達もできて楽しく過ごせました。

軍を除隊し、さまざまな仕事を経験

砲兵任務をこなすチョンさん

――高校卒業後に、韓国に戻って軍隊に入ったそうですね。入隊した理由は?

運動が好きで格闘技をいろいろやっていたので、軍隊には中学生の時から入りたいと思っていたんです。あとは父が軍を経験していなかったこともあります。韓国には徴兵制度があるのですが、一家の稼ぎ頭が抜けて経済的に厳しい場合は入隊を免除されることがあります。父がそうだったので、何かにつけて周りの韓国人から下に見られている雰囲気を感じていたのも影響しています。

――軍ではどんな仕事をしていたのですか?

砲兵と言って、戦車に砲撃の玉を込めて打ったりする任務でした。でも、怪我をして2年ほどで除隊してしまったんです。ある時、友人の飲食店で酔っ払いが刃物を振り回しはじめて、それを止めようとしてカッターの芯で首元を切り付けられました。気絶するほどの怪我を負ってしまい、その後もしびれが残って重い砲弾を持ち上げることが出来なくなってしまったんです。内勤に異動する道もあったのですが、嫌だったので除隊することになりました。

――次の仕事探しはどうしたのですか?

できることがないと思って凄く悩みましたが、日本語ができるのを活かして何かしようと考えました。そこで、日本に戻ってくることにしたんです。自分で調べたり、周りの人から話を聞いたりしているうちに、どうやら寿司職人が将来性があるのではないかと。そこで、すしざんまいが開いている職人養成のための塾で2年間学び、その後は店で寿司を握ったりホール係をやったりして、5年ほど働きましたね。

――寿司屋の仕事は楽しかったですか?

もともと動くのが好きだったので楽しかったです。ただ、年配の板前さんなどは外国人が寿司を握ることに対して良い印象を持っていなかったので、最初のうちは名前ではなく「韓国人」と呼ばれていましたね。2年ほど経って仕事ぶりが認められると、ようやく名前で呼ばれるようになりました。それでやりがいを感じて嬉しくなったこともあります。実は寿司屋の仕事と同時並行で、鳶職もやっていた時期があるんです。両方とも職人の世界で、外国人だと最初は差別的な扱いをされる感じはあったのですが、仕事が繊細なところが魅力でした。

――その後、現在手掛けているジュエリー関係の仕事を始めましたが、その経緯は?

すしざんまいを辞めた後、昼間は生活費を稼ぐために現場仕事に出て、夜はジュエリーの勉強を始めました。理由は、父がジュエリー職人だったので、学生のころから仕事を見てきたのと、金やプラチナは価値が大きく下落することが少ないので、これをメインの仕事にしようと思ったからです。鳶の仕事をやりながら夜は勉強して、実際に製品を作ったり父の工房を借りて加工の練習をしたりしていました。仕事はジュエリーのオーダーメイドや修理、あとはショップからの依頼でオリジナルアイテム作ったりデザインしたりと、一通り全部できるようになりました。

ジュエリーの仕事では信用を築く難しさに直面

――昼も夜も働いて、よく体力が持ちましたね。

現場の仕事は朝6時に集合なので、4時半に起きて軽く運動してから働きに出て20時に帰宅して、それから食事や風呂を済ませてジュエリーの仕事を夜の1時か2時までやるという生活でした。慣れてしまったので、あまり寝なくても大丈夫になりましたね。

――ジュエリーの仕事の面白さはどんなところでしょうか?

頭の中でイメージしたものを具現化できることですね。完成したものをSNSに上げてみて人気が出た時は嬉しく思います。

――逆に苦労した部分はありますか?

最初のうちは、取引先の獲得が難しかったです。修理やリフォームは個人のお客さんの他に、ショップからも仕事が持ち込まれます。ショップからの集客はすべて自分でやっていて、始めて2年ぐらいは全然顧客がつきませんでした。顧客にしてみれば、高価なものを預けることになるので、まずは信用されないといけません。自分は日本に居場所があって、ちゃんとやっているというのを見せるために、何度も通って認められる必要がありました。同じくジュエリーの仕事をしている父とは別々にやっていたので、信用を一から築く必要があったんです。何もわからない状態で営業に出向くうちに、いろいろと失敗を経験しながら学んでいきました。

――従業員はどうやって集めたのですか?

主にSNSで開拓しました。たとえば「ベトナム系ジュエリー」とか「アメリカ風ジュエリー」など、ハッシュタグを付けて製品を投稿すると、日本に住んでいる海外の方が「いいね!」を押してくれたりします。その人がデザインを手掛けていたら個別に連絡して会うなどして、繋がりを作っていきました。

母国語と日本語ができるのは大きなメリット

――いろいろな職業を経験してきましたが、転機で迷いなどはなかったのでしょうか?

仕事を選ぶときはいつも、果たして大丈夫なのかとメチャクチャ迷ってきました。すし職人になるときも外国人が握る寿司は食べに来ないんじゃないかとか、ジュエリーの仕事を始める前も1年半くらいは迷っていましたね。いろいろな情報が入ってくるので、何をやるのが良いのか、選ぶのが大変でした。

――そんな丁さんの経験を踏まえ、外国ルーツの若者たちが仕事を選ぶ上でのアドバイスをお願いします。

はっきり言えるのは、母国語と日本語ができるのは大きなメリットということです。だから、語学力を活かせる仕事を頭において選び始めればよいのではないか思います。たとえば母国で流行っているけれど、日本にまだ入ってきていない物も結構あります。そうした物を調べて輸入して、日本で販売するのも良いでしょう。販売ではなくても、海外から日本に来て仕事をしている人たちを支援するなど、言葉ができることでやれることは沢山あるのではないでしょうか。生活ができる程度の稼ぎを得ながら、そうした取り組みをビジネスに育てて、大きくしていくことをお勧めします。

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