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資本に限りはないが資源には限りがある N149

 コロナによる経済危機を乗り越えるために各国中央銀行は利下げや量的緩和を筆頭に経済対策を打っている。日銀の国債やETFの買い入れを見るともはや資本に限りはないのでは?という錯覚に陥る。実際に限りはないということなんだろう。
 

 一方で忘れてはいけないのは資源には限りがあるということだ。どれだけ人間の英知を尽くして数字を操作して経済危機を乗り越えたとしても資源やエネルギー、食糧の危機は乗り越えることはできない。これは数字遊びではないからだ。
 

 コロナ危機で見えてきたのは(MMTを擁護するわけではないが)金融市場は通貨発行によってコントロールできるだけの知見が身についてきたということだろう。何度となく不景気を経験することによってどうすれば回避すれば良いかがわかってきているように見受けられる。もちろんそれは「短期的に」という条件がつくのだろうが。
 

 その上で次に危機が起こりうるのはやはり資源の限界に行き着く時だろう。すでに温暖化問題やマグロやうなぎの数が減っているように水産資源の枯渇問題も限界まで到達しようとしている(実は限界点を超えている可能性も濃厚だが)。
 

 資源には限りがある。この資源の枯渇や温暖化の問題はお金のように数字遊びでは解決ができない。これは制約条件として立ちはだかる問題だが、人類はまだ大きな地球を前に無限であるかのような振る舞いを続けている。
 

 繰り返すが資本に限りはないが資源には限りがある。昔は逆で資源に限りはないが資本には限りがあった。だがこの資本の縛りがなくなった時に行き着く先は資源の限りの壁だが、その壁にぶち当たった時は再起不能になった時なのだ。 

 そしてこのまま資本が無限に増え続ければ(既に起きているが)資産インフレは当たり前ながら資源インフレが起きる。つまり持てるものがより持てる世界になるだけではなく、持たざるものは何も買うことができなくなる世界だ。手短に言ってしまえば(不動産や株式をたくさん持っている)お金持ちがより資産も資源も独占してしまうのだ。



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