見出し画像

グローバル化の影響 〜 格差を読み解く(1) N150

 Noteをはじめて想像以上に格差について関心の高い若い人たちがいることに驚いた。その多くの人が格差は悪であるという前提に立っている。しかしその格差を縮めるための具体的な行動をなかなか見つけることができない。これは時代性なのかもしれない。数十年前であれば暴力的な行為が予想されるが今の若い人たちが暴力は良くないと教えられているから過激行為に出ないのかもしれないし、もっとスマートに水面下で進行しているのかもしれない(知らぬはおじさんだけ)。  

 格差は世界的に起きている。日本だけ固有の現象ではない。そして諸外国と比較すると日本は比較的格差は少ない方だと個人的に感じている。また日本の格差は竹中平蔵が引き起こしたと発言する人に何人も会ったのだが、雇用改革をしなかった場合の日本についての想定ができている人は誰もいない。非正規を生んだことだけへの憎悪や責任転嫁の自己満足に終わっていることが残念である。これは世界的な経済の波の中での政策だったので非正規雇用制度がなくとも別の形で大きなダメージがあったはずだというのが私の結論だ。  

 では何が世界で起きていた?あるいは起きているのか?についてだが、下記の 図のようにシンプルに3つの階層とした。ベルリンの壁崩壊以降、真ん中の工業化職が世界で流動したのだ。1980年代はパナソニックやシャープのような日本の製造企業が世界を席巻していたが、1990年代に入ると韓国のサムソンやLGが台頭した。そして2000年代に入ると台湾そして中国企業が目立つようになり、日本の製造業、とりわけセットメーカーの影が薄くなった。 

画像1

 この領域の雇用力に日本人は大きく依存していたので1990年以降は苦戦をすることになる。しかし米国や西ヨーロッパ諸国は日本より先に苦しんでいた(日本に苦しめられていた)。敢えて竹中さんの政策に批判をするとすれば、非正規よりも企業の集約化をあのタイミングに国主導で進めて合理化をすべきだったのかもしれない。しかし日本企業はリストラすれども、メンバーシップ型で特に賃金の高い大量の団塊世代を抱えて高人件費体質を維持する代償の抜け道として非正規雇用という策をとった(ジョブ型であれば非正規雇用という決断にはならなかった)。しかし結果としてトヨタ自動車のように世界に突き抜けることができなかった企業はメンバーの雇用を維持できず凋落した。  

 一方で海外では先進国では製造業は合併して集約化され、工場などの現場仕事はアジアや東ヨーロッパに委託された。そして失業者が溢れた。デトロイトの荒廃ぶりはしばしば引き合いに出されるが、トランプ大統領の人気の源泉が彼らにあると指摘されるのもこれらの背景があるだろう。かつての先進国で生き残ることができたのは集約化されたグローバル企業のマネージャだけだった。  

 私はこの過去20年間で起きてきたかつての先進国である米国や西ヨーロッパの動きを日本がこれからたどることになると考えている。つまり企業の合従連衡が加速されるだろう。  

 メンバーシップ型の人事制度をとる日本企業にはM&Aのシナジーが非常に低くリスクが高いためにあまり進まなかった。ジョブ型のように産業間で仕事が共通化されていないので企業単位で別の仕事の仕方をするために共通化による効率化が出せないとか、(スキルで評価ができないので)買収をした方に絶対的に地位が高くなってしまうとか。  

 海外のケースから一つ言えることはこの工業化層の仕事は昔のように華やかには存在しない。集約化された企業のマネージャの報酬は高くなるが、多くは海外に移転されることになり、集約化されて廃職されることがほとんどだろう。  

 どうしても日本のメディアの価値観が50代や60代に支配されているためか日本は製造業への信仰が強すぎる。そして政治が産業を守りすぎる。もちろんダイソンやフィリップ、(航空機エンジンの)ロールスロイスなど高度な製造業で雇用を生み出した例はあるが、この工業職のグローバル化により日本はさらに格差が進むことは避けられないだろう。  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?