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異文化コミュニケーション的交渉術(阿修羅の正義)

相手に受け入れてもらえないときに、人は「憤り」を感じます。
これは「怒り」とはことなった感情です。

人の感情とは面白いもので、お互いの利害が全くかみ合わない相手であっても、どこかで『心の交流』を求めているのでしょう。

ところが、人は立場によっては交渉さえ拒否します。

相対する人との問題を解決するのは『交渉』しかないのですが、自身が不利な立場だと認識している場合や、交渉する気持ちさえ持たない場合、相手を敵視(または軽蔑)している場合、等々では、「話などする必要がない」「何を話しても無駄だ」と考える人がいます。

そんな相手に対して、
「誠意をもって話し合えば解決できるに違いない」と考える人が、話し合いましょうと言っても、何も返事はこないものです。

『心の交流』を求めて誠意をもって接したいと思う人にとっては、なぜこちらの誠意がわからないのか?!という感情が目覚め、その気持ちが段々増大して相手を粉砕してしまいたい衝動が出てきてしまいます。

そうなると理性や知性では歯止めが利かなくなり《交渉の場》を《交戦の場》へと変化させてしまう危険性があります。

この炎を制御しなければ、たとえこちらが正義であったとしても、さまざまなところに飛び火してしまい、多くの人たちが「巻き添え」してしまうだけか、その正義の大義でさえ失ってしまうことになることを忘れないことです。

《阿修羅の正義》(http://ashura.kokaratu.com/02ashura02.html)

私たちは、「神」ではありません。でも、『憤り』は私たちを「魔」へと変化させることを自戒することを絶対に忘れてはなりません。

相手を断罪することができるのは「神」だけです。「神」が動くまで、誠意を持ち続けることを忘れてはいけません。

「神」は、無辜の民であり、普段は静かに発言をしない人たちです。


島崎ふみひこ
異文化コミュニケーション研究所(R)
https://www.globalforce.link/
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