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一神教と多神教

外国人を採用するということは、相手の生活や習慣も受け入れるということです。採用に際して宗教に関して触れることは基本的にはないものですが、相手の人から自分の信じる宗教にとって必要な行為の申告があれば、快く受け入れてあげる必要もあります。たとえば、イスラムの人にとってお祈りの時間はとても神聖なものです。

キリスト教も、イスラム教も一神教ですから、世の中の人の多くは、一神教の人が多いように感じます。

一方、日本人は、八百万の神(やおよろずのかみ)といって、周りのすべての「もの」に神様を感じます。

日本中にたくさんある「神社」のご神体を調べるとわかりますが、今の時代ではちょっと「これもあり?」と感じるものもたくさんあります。中には「男根」や「髪の毛」まである程です。(笑)

その一方、「一神教」は、神様は一人(唯一)です。それじゃ、それ以外の神は排除するということ...?とも思いがちですが、あくまで自分の信じるものが一人(唯一)というだけです。

ただ歴史を紐解くと、宗教戦争が過去たくさんあった訳です。当時は、他の神を信じるものは異教徒・邪教だと、お互いに言い張っていました。そんな時代は、やらなければ、やられる訳ですから、暢気に他の宗教を受け入れるなんてことは出来ず、排他的になっていたのでしょう。ですから、今でも、
当時の血なまぐさい表現が文書に残ってしまっています。

でも、そんなことが書かれているからといっても、これはその時代背景があったからこそのことで、基本的にはどの宗教も迷える人に、人の道を示し、悲しみを慰めるものだからこそ、科学が進歩した今でも、私たちの心の支えになっているのでしょう。ですから過激な行動に出る人たちは、ほんの一部
でしかなく、包容力を持って私たちは全体を見ていく必要があります。

さて、そこで多神教の私たちが知っておくべきことが一つあります。
それは、一神教の人たちは、神様と一対一の関係にあり、多神教の私たちは、複数の神様と私という、多対一の関係にあるということです。

私たち多神教の場合には、時と場合によっては、自分の都合の良い神様を選択できるため、ある意味、神様との関係は《緩い関係》だということです。ところが、一神教では神様と自分との《約束・契約》が存在し、それからは逃れることができないため、私たちからすると『融通が利かない』『頑固』ように見えてしまうということを知っていなくてはなりません。

また一神教の人からは、逆に私たち多神教の人を『優柔不断』『信用ならない』と映る可能性もあるということです。

立っている所が違うだけの差ですが、ときとしてそれが大きな火種になるので、外国人を部下に持つ人は、どうしても通じないと感じた場合にはそれを思い出してみて下さい。


異文化コミュニケーション研究所(R)
https://www.globalforce.link/
日本企業のダイバーシティ教育、高度外国人財の採用・活用

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