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源氏物語 通読記①

定年退職の後、外出自粛と多くの社会的活動の自粛に伴ってこれまでにない多くの時間ができたことを幸に、昔購入した本の再読と今まで読みたいと思っていた本を読むことにした。

そのうちのひとつが「源氏物語」である。現代語訳としては谷崎潤一郎や与謝野晶子、円地文子などのものがあり、実は内容を考えれば瀬戸内寂聴訳が一番ふさわしいのかなどなど思い悩んだ。結局、古典を読み慣れていない自分が途中で倦んでしまわないようにと一番新しくて(多分)読み易そうな角田光代訳を選んだ。匂い袋としおり付きだ。学問として読むわけじゃないのでこういう取り付きやすい訳は助かる。

現在は上巻の半分ほど、約6分の1、「葵」までたどり着いたところだ。まだここまで読み進めたばかりでの感想に過ぎないが、思ったことは、光源氏という男は生来の女好きで、行く先行く先の娘や人妻と関係を持ち、それが明るみに出ても許されるぐらい極めて美しく、光り輝くような容姿と文や芸の優れた殿上人だと、今までは想像していた。

しかし、確かにちょっと見目麗しいと評判になった女性には、気になって仕方がなく会うことができれば情のこもった文を送り女性を惑わす、評判通りのドン・ジョバンニかカサノバのようだと思いきや、読み進めるうちにどうもそう簡単な話ではないと気がついた。

まず、父桐壺帝に入内した藤壺と道ならぬ関係に落ちて懐妊させてしまい、空蝉には拒否され、夕顔は光君に恋するあまり亡くなってしまう。正妻となった葵の上は出産直後に物の怪に取り憑かれて息を引き取る。その物の怪とは、光君への恋慕を断ち切ろうとして諦めきれず苦悩する六条御息所の生霊だったりしてなかなか思うようにいかない。

ちなみにこの「葵」の段の葵の上を題材にした能「葵上」は僕が水道橋の能楽堂で最初に見た能のひとつだったと思う。今は宝生能楽堂となっている。葵の上に恨みを持つ六条御息所がやがて般若面の怨霊となるところなどは、鬼気迫る感じがしたものだ。

もうひとつ、三島由紀夫の「現代能楽集」のひとつに「葵上」がある。三島が能を近代的にしようとした目的は「能楽の自由な空間と時間の処理方法に着目し、その露わな形而上学的主題を現代的な状況の中に再現」しようとした、とのことだ。2015年に銀座みゆき館劇場でアンフィニの会が「熊野」と「道成寺」を公演したものを観たが、この戯曲を実際に舞台にして演じることはかなり難しかったのではないかと感じられた。

いずれにしてもこの後が楽しみである。

池澤夏樹=個人編集 日本文学全集04 「源氏物語 上」/訳者=角田光代  (株)河出書房新社 2017年9月初版


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