始業式のライフがゼロよ

いよいよ明日が始業式だった。
短時間でたった1日だけの登校とはいえ、それなりに気晴らしにはなるだろうと思った矢先延期が決定した。
こんな時期に登校は危ない。などいろいろあるだろうが、わたしは肯定的だ。もちろんやり方に工夫は必要だ。天気が良ければ校庭で始業式を始めて、配布物も全て済ませてしまう。教室の準備は後回しでいい。手紙や教科書を受け取りさえすれば、自宅でもなんとかなる。
進級するというスイッチの切り替えはどうしても必要で、やらないならやらないで、児童の意識をひとつ上に持っていかせるような事をしたほうが良い。
一斉メールで進級おめでとうございます。という校長先生のことばもあれば充分だ。
ここ数日の間、子供はどうぶつの森でせっせと卵を集めて住宅ローンを返済している。外遊びに拘るような子でもないので外出自粛に不満は言わないが、「2年生になれるのか不安」という言葉が出るようになった。
始業式、終業式、修了式、入学式、卒業式……これらは進級するというふわっとした概念からより形にするための大切な儀式だったのだ、と思い知らされた。

こんなご時世だから

どうにも話題が偏ってしまう。普段は粛々と冷静に世の中を見ているつもりでも、どこかでストレスが溜まっているのかもしれない。ここらでドカンと盛り上がるような話題が出れば良いのだが……と、思い、タイバニ新作決定の報が入った。なるほど。タイバニね。わたしはスッ……と立ち上がり、放送は2022年予定と聞いてやや腰を降ろしたのだった。

34

突然だがわたしは34歳だ。年齢なんぞネットでは関係無い。話が合えば皆仲間だ。だが、わたしは今年1年は34歳を主張したい。
人生の推し、大逆転裁判のシャーロック・ホームズが34歳だからである。
29の頃にハマり、行く行くは同い年になるんだ~!とウキウキで待った。待たなくても勝手に時は流れる。4年の間に毎日うっすら体調が悪い年齢になってしまったが、わたしは後悔していない。何故なら推しと同い年だから。最高だ。頭脳は雲泥の差でも年齢は肩を並べている。それだけでも尊い。
あいにく大逆転裁判の舞台は明治時代なので、正確に言うと肩も並んでいない。