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#2 バランスを見極める

みなさん、こんばんは🌙
昨日の続きを、またポチポチと書いていこうと思います。

昨日はみなさんに、

どのような教育が行われ、
どのような子どもたちの姿がありますか?


という質問をしたと思います。


きっと、それぞれにいろいろな答えがありますよね。

みなさんはどんな答えが浮かびましたか?

私は肌感覚で、
教師主体で子どもがやらされている勉強が、
以前として数多くあるのではないかなあと感じています。

お気づきでしょうか?
私は今、あえて勉強という言葉を使いました。

みなさんの答えに勉強という言葉が含まれていたのなら、
ちょっと立ち止まって考えてもらいたいことがあるんです。

それは、勉強と学びの違いについてです。


勉強と学びの違いについて

どういうこと?一緒じゃないの?と
思われるかもしれませんが、

私たち教師は、この2つの言葉を
自覚的にすみ分けて
理解する必要があると思っています。

インターネットで検索すると、
佐賀県立唐津西高等学校さんのHPを見つけました。

そこには、

一般的には「勉強」とは強制的なもので「学び」とは自主的なものと考えられています。

2023年1月12日発行号より

とあります。

つまり、ちょっと大袈裟に言うと、

勉強=教師が主体となって進められ、
   子どもは強制的にやらされるもの。

学び=子どもが主体的に行うもの。

と解釈することもできます。


どっちがいい?どっちが悪い?


先ほどの表現だと、

学びはいい!勉強はだめ!

と感じますよね。

でも、ちがう。そうじゃない。
私はそう思っています。


どちらのよさも

社会を取り巻く物事の多くは複雑で、

AかBを問われたときに、
短絡的にどちらか一方を選択するだけでは
やや安直な場合もありますよね。

この場合もそうで、
勉強にも学びにもそれぞれの良さが
やっぱりある気がするのです。


勉強とは子どもがやらされる。
つまり、
それだけ身につける価値があるものや
しっかり習得して欲しいものについては、
ある一定の強制力も必要ですよね。

例えば、10より大きな数の概念がない子に、
12+9=○
という問題はいきなり出しませんよね?

きちんと順序があって、
必要な知識について指導し、
それを子どもが習得することによって、
段階的に理解が深まっていく訳です。

ここでは、教師による指導が欠かせません。

ただ、教師による指導だけですと、

教師が教え、
子どもは教えられるという関係が強化され、

昨今問題にもなっている、
子どもの主体性を欠く画一的指導に陥る可能性が出てきます。

そこで、子どもの主体性が尊重された学びが、
同じく大切になってくる訳です。


だから今こそ…

だから今こそ、我々教師に求められるのは、
バランス感だと思うのです。

言わずもがな、
勉強と学びのバランスをとる。

教師目線で語ると、
指導するべき部分子どもの主体性を尊重する部分。

いかにこのバランスを見極めるか。


どっちかに偏っていないかな?
このようなバランス感覚。

子どもの様子からすると指導が必要だな。
このような見取り力。

ここは子どもの学びを見守ってみよう。
このような柔軟性。

こうしたものが、今の時代に求められる
教師の資質能力なのかなあ

なんて思うのです。

これは、子どもの成長を願う
保護者のみなさまにも
当てはまるかもしれませんね。


実はこの文章、研修終わりの日付が変わる前に
書いています。

文章がわかりづらい点もあったかと思います。
ご容赦ください。

少しずつ上達できればと思っています。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
もしよかったらまた読んでください。

それではおやすみなさい😴
良い夜を!

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