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”ツイフェミ”の罪―ある青年との対話から


 ツイフェミとは、主としてツイッター(現x) においてフェミニズム的な言説で、創作作品などを批判する女性を言う。これを許せないという青年と長い対話を行ったのでその成果を記し、当の”ツイフェミ”の方の誤解を解きたいとも思う
 ツイフェミ批判に明け暮れるようになったきっかけを青年は「好きな創作作品を揶揄されたこと」、「話に入ってきてほしくない」と思ったと語る。これほどわかりやすい話はないのだが、彼らにとっては、ネット上というのは閉鎖されたコミュニティでありそこに土足で入り込んで、同質性を崩壊させることへ、とても強い怒りを覚えるようであった
 対話した青年はいわゆる自民支持層でもネトウヨでもない。ごく普通の青年だ。スマホを購入したあと、好きな作品について語り合う仲間が欲しく、SNSにたどり着くというよくある話に過ぎない
 彼との対話で、現実の世界の女性についてなにか傷を抱えているとか、トラウマがあるわけでもないこともわかった。いわゆる「モテナイ男の逆恨み」ではない。むしろ純朴でとても素直な人物の集団であると言えるだろう
 彼らにとってなぜ、ツイフェミが疎ましく、嫌悪の対象になるか?彼らも毎日を生きるうえで不安がある。ゆえにネットで仲間を探している。語り合って共有したい。そこは「そういう場」であるという認識に過ぎない
 そこにツイフェミが乗り込んでその場を荒らして去っていく。そして大概にして傷つくことを言われる。こうして憎悪が増幅されていく
 彼らを捕まえて「ネットはそういう場所ではない」といっても意味はなさない。それは大人の考え方であるからだ。多くの10代後半から20代にとってSNSは物心ついたときから存在するものだった。言葉を変えればSNS世代とも言える。当たり前にあるものであり、そこに似たような人と集まるのは彼らにとって不自然な行動ではない
 彼らにとって、インターネットは、情報を集めるものではなく、仲間と寄り合う場所である。一方で批判者は、その前提であるネット理解を改めることはない。ゆえに議論が平行線になる
 わかりやすい差別主義者たちの集団でもなければ、もてない男性がひがみあってるわけでもない。ただひたすら、「その場の「雰囲気」」を好んでいるに過ぎない。某有名中世史研究者があれだけの知性を持ちながら不用意な書き込みを繰り返していたのも、思うにこうしたSNS感が原因だろう
 その場の雰囲気を壊すような議論、これは彼ら自身を深く傷つける。それが排他的コミュニティであるとは自覚しており、そこに自分の弱さ醜さを感じてしまうくらいには知性があるからだ。
 「女は怖い」これが彼の口癖だ。そこから当然、憎悪、嫌悪が生まれる。なぜ怖いのか。前提を突き崩すからだ。自分が自明の理としてきたこと、安らげるもの、これらを壊しに来るからだ
 言ってみれば、他者から他者性をつきつけられ傷つくという人間社会でよくあることをネットでも経験しているに過ぎない。そこには特定の思想性や、なにかの信条は関与しない。ごく普通の人たちが、いつでもそうなる可能性がある
これには、大人の責任はとても大きいと思う。大人社会がいかに差別や偏見に満ち溢れ、日夜、他者との対話を放棄し、排斥に走っているか知らないものはいない。そこから得られる学びを放棄し、安住の地を作るために、誰かをいつも血祭りにあげている。このような無様な大人の姿が、そのまま、純朴な青年たちに再生産されているに過ぎない
 自民党のワクチン担当までされた河野太郎氏がすぐにブロックすると有名だ。ブロックとは、他者への拒絶だ。異なる意見は見たくもない。なぜなら自分が傷つくおそれ(往々にして彼らはそれを「コスパ」「タイパ」などとごまかしている)があるものから得られるものなどない、逆に言えば、わかりあえる他者がどこかに存在し、その中で生きていけばいいという人間感、これにこそ安心を覚える人が多いのだろう
 「他者とむきあいましょー」はただの綺麗事だ。いかにそれがしんどく自分を傷つけるか。そもそもしんどくないものは他者ではない。そのしんどさをわかろうとせず、「女子禁制の秘密の場所」を土足で荒らしていることが彼の考えている「ツイフェミの罪」なのだろう

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