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中世社会でのミソジニー -織田信長の行動から

 現代社会のおいても根強く残る「男村」に、「わきまえた女だけ入れてやる」という構図。そこに、垣間見れる女性への憎悪。このようなものの起源はなにか。私の専攻していた近世社会ではあまりにも事例が多すぎるので、今回は、中世で最も有名な人物といっていい織田信長を取り上げたい。

 はじめに私は織田信長についてなにかまとまって研究したこともないし、まったく詳しくはない。事実関係の誤認や、最近の研究動向について詳しくないことを改めて謝罪しておく。正直、彼なら、みな理解しやすいだろう、というのが本音です(当初、上杉謙信で考えていたが、知名度が信長が桁違いにあること、かつ、謙信のトランスジェンダー的な側面の理解がまだ浅いのでここでは信長さんに人身御供になってもらった。)

 私は子どもの頃、創作物か何かで、武田方に寝返り、その武将である秋山虎繁の妻となったおつやの方(岩村殿)を後年、信長が根に持って残虐な刑に処したことを知り、子どもながらにとても恐ろしく感じた。それは信長自体への恐怖だけでなく、戦国時代の残酷さを示すエピソードとして、創作物の作者の意図通りに、理解していた。
 が、後年、一人の歴史学徒となってもこの件の信長の「気持ち」が気になり続けた。信長自身の妻でもない女性をほぼほぼ戦利品として奪い取られただけの女性をここまで残忍に処刑したくなる、彼の心理が気になって仕方が なかった。
 中世社会で衆道関係と呼ばれる男色文化が支配層に人気があり、多くの戦国大名がそれを嗜んでいたことは有名だ。そこには、寺社仏閣での暴力的な同性同士の性行為がそのまま持ち込まれ、主として上位の者が、下位の者を出世などを理由に一方的に性行為に及んでいたことは有名だ。今日、とある芸能事務所で同じようなことが起きていたが、こういったことは、当然、現代社会であってはならないことだろう。これをして、中世社会は性的な理解が進んでいたというのはさすがに論理の飛躍があると思う。
 信長自身も衆道を好み、多くの男性と関係を持った。それをして彼がミソジニーだと論じたいわけではない。彼らが、下位の者を権力者として組み敷いている構図、これが極めて男性的な嗜好であり、そこには女性のみならず男性すら(それは往々にして少年)をも「戦利品」として見なしていたという一例であろうと思っている。組み敷かれ性的暴行を受けた人間がお情けとして立身出世するので、多くが問題にならないという構図もジャニーズ事務所と同じである。残念ながら、このような同性同士の性的関係においてこのようなケースは現在でも多く存在している。
 おつやの方事件の概略は先ほど述べたとおりのことだ。信長の叔母にあたる一門でもある彼女が、敵方に寝返ったのみならず、あろうことか側室となったことに対して、信長が大変怒り、後年、見せしめとして残虐な刑で処刑したという話である。逆さに磔にし、見せしめとして裸体を晒した、と(同時に、秋山も同じ刑で処刑されている)。
 彼女の立場に立てば、武家のならいで「戦利品」として武田方に降伏したに過ぎない。実質的な岩村城主として、仕事を差配していた一門衆だったのでその通りに刑に処した、というだけなのであれば、逆に信長は、彼女を「戦利品」ではなく、同等の権利を持つ主体であると見なしていたということであり、彼の意外な側面をそこに見ることも可能である。
 信長の武田氏への怒りたるやすさまじく、滅亡後、執拗なまでに残党狩りが行われ、およそ寛大な処置が行われたとは言えない。統治のみを合理的に考えればこのようなことはせずにすませばいいはずで、後年、本能寺後の天正壬午の騒乱で甲斐信濃で織田家がイニシアティブを失い、甲斐国人により信長の派遣した守護が殺されたりしていたことは、信長のその仕置きが、いかに武田氏への個人的な怒りが強かったかを物語るものの一つであろうと思う。
 おつやの方は織田家一門であり、信長の叔母にあたる。しかもやむなく降ったにすぎない。信長が彼女に何らのわだかまりもなければお市のように別の臣下に「降嫁」するのが一番合理的だったはずだ。ところが、信長はそれを拒んだ。許せない何かがそこには確実にあったはずだろうと推察する。
 
 ここで現代社会の男性たちを見てみよう。彼らの愛読する週刊誌などでは、たえず誰かしらの”不倫”が扱われている。そこで最も攻撃されるのは、広末涼子のように「一見わきまえた女性であったのに、他の男性に戦利品として奪われたもの」だ。不倫の当事者のうち男性側は「不適切」と職業倫理から裁かれるのみであることが多いだろう。
 私が思うに、おつやの方は、「わきまえた女性」だったのではないだろうか。そうであれば、彼女が、城主として差配して大きな問題が起きなかったことも理解できる。「わきまえた女性」でなければ率いられる国人衆も、さらには武田織田方の武将たちも反発をしないはずがない。ところが、寡聞にしてそのような話は聞かない。
 おつやの方が「わきまえない、淫らな」女であれば、信長が怒りをあらわにすることもなくその他多くの女性と同じように戦利品の一人として処理をしただろう。また、このことは、織田家の女性が「美人」と称せられることからも察することができる。それは性的魅力のみならず、内面をも包含するものだっただろう。そのような女性たちに囲まれて育った信長が、淫らなわきまえない女となってしまった叔母を許しがたい、と考えてもおかしくはない。
 「わきまえる女」と思い”永遠の愛”(それは男性からのハラスメントや暴力を永久に受け入れることを意味する)を誓ったにも関わらず不貞にもその約束を反故にし、他の男性に戦利品として組み敷かれ、性行為を受け入れてしまうことによって、「自身のプライド」(男性社会での承認間)を不当にも傷つける女性。これが許せないと考える男性は現代社会でも多い。
 このような側面を信長も持っていた、という一例に過ぎないのではないかと推察する。同時に、中世社会は理想郷で、性的に自由であり、近代こそが悪であるとするいわゆる「国民国家批判論」にもこの点、私自身、懐疑的にならざるをえない。

 人類は新しい局面を迎えなければならない。女性が人として扱われ、戦利品として見なされない社会を。このように思う。
 
 

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