20220907 日記238
鴨川シーワールドで遊んだこと、内房線と外房線で房総半島を一周したこと、深夜のゲームセンターで店員のお姉さんの協力を得ながらちみも全12種類をお迎えしたことなどは明日書こうと思います。
バズ・ツイート(個人の感想)の覚書
昨日、鴨川に遊びに行った時、商店街で撮った輪廻のラグランジェの写真ツイートが、なんか今日の昼ぐらいから急に伸び始めた。
血気盛ん(かつ友達があまりいなかった)な2010年代前半などは「ツイートでひと山当てて、いっぱしのアルファツイッタラーになったるで!」という気持ちも無くはなかったのだけど、荒廃し、世紀末へと歩みを進めている今のTwitterでバズっても、リスクしかないように感じており、昨今は「猛烈な雨・猛雨(もうう)が降っている」などとしかつぶやかなくなっていた。
しかも、今回のつぶやきに関しては、自分の身を削って生まれた何かというワケでもなく、ただ旅で感じたことを、そこで撮らせて頂いた写真と共につぶやいただけだった。
そういうツイートが何かの偶然で、ある程度の人々に見つけられた結果、どうなるかというと、こういうインプレッションが生まれることになる。
俺という人間に興味があったり、俺という人間の面白さから跳ねているわけでは全くないことが分かりますね。
こういう状況で、よくある「バズったので宣伝します!」みたいなやつを自分でリプライしても、全く効果がないだけではなく「そうか。君はそういうフォロワーだったんだな」と、フォロワーたちから軽蔑されることになる。(己の身を削ってバズったツイートは、その人自身への興味に繋がるので別だと思ってます)
また、これもツイートに人間味が伴ったわけではないツイートが跳ねた時の特徴のように感じたのだけど、このツイートの向こうに俺という人間がいるとは思われていない感触がある。
具体的には、俺のツイートを輪廻のラグランジェというコンテンツへの評価や思い出を語るトリガーのようにして、リプライや引用RTで持論や思い出話を述べたりされまくる。
跳ねているツイートにリプライをつけることで、おこぼれいいねを貰おうとしているのではないかという疑惑の人物の姿も見受けられる。
その結果、リプライと引用RTの9割は「俺に言われても困るが……」という内容になってしまう。
放っておけばいいものの、そもそもこんなにツイートが拡散されることがなく「いわれのない理由で叩かれてたらどうしよう」という被害妄想から、届いた引用RTやリプライをめちゃくちゃ追いかけてしまった……。
世紀末を迎えた後のTwitter、マジで怖いので、地味に普段からお見送り芸人しんいちスタイル(※悪い感情をもっている場合でも「すき」という表現を使用することで、俺のことを知っている人間だけに意味が通るようにする)をとっている。
ただ、今回のツイートに関してはその限りではなく、これまで様々なアニメ聖地を旅してきた中で、コンテンツのことを知る人が少なくなっても、土地の記憶の中にコンテンツが生きている、生命としてのコンテンツの幸福な終着点のように感じたからこそ、素直に感じた「すごくいい」という言葉だった。
それに対して「寂れる早さを考えるとイイなんてとても言えない」という引用RTが飛んできたのは心外ではあったので、いつものように空中リプライで主張を残しておいたが、誰も俺の人間性を見ているわけではないため、フォロワー以外に届くことはない。(それはそうすぎる)
リプライ欄に残そうとは思えず、何かツイート主の手を離れたところで、引用RTで思い出を語ったり、リプライ欄で小競り合いを起こしたり、パチスロ輪廻のラグランジェ情報が寄せられたり、負の遺産化が進んでいるツイートに触れるのがもはや怖くなっている。
また、初動からいたので、RTといいねが雪だるま式に増えていく仕組みも、リアルタイムで追いかけることが出来た。
最初は自分のフォロワーさんたちにアクションを起こしてもらっていたのだけど、外に転がっていた最初のきっかけは、10万単位のフォロワーを抱えている、直接的なつながりのない絵師の人だったように思う。
1000RTを超えたあたりから、数の方に価値が移っていった気がして、画像そのものよりも多くの人が拡散しているこの画像に共感すること自体が意味を持っていった気がしている。
数という根拠が生まれた後は、なんGで俺のツイートをトリガーとしたスレが立ち、3スレ目に突入していた。
このスレは、なんか見たことあるまとめブログなどにも取り上げられており、ガチで俺が追っている外で、俺が感じた文脈の外で話題が転がっていく。
身内という意味だけでなく、Twitterの内部だけでバズが生まれるには限度があり、何かメディアミックス展開の意味のようなものを感じた。(本当か?)
そういう今のTwitterでつぶやきが話題になっていく仕組みのようなものを自分なりに追いかけた上で、やはり思ったのはマジでバズに興味がなく「猛烈な雨・猛雨(もうう)が降っている」といって身内だけでキャッキャしてるのが一番いいな……ということだった。
俺の場合、届いて欲しいと願った発信が、身内を越えて外まで届いたことが伝わり、何か新しい関係が始まるのはものすごく嬉しくて、それが自分が文章を発信している意味そのものだとさえ思っている。
そうした出会いの機会が多くなるという意味であれば、数に意味はあると思っているけど、今回のツイートに関しては、一人でも多くの人が輪廻のラグランジェを観たり(イイアニメですよ)、鴨川に行こうと思ってくれればいいな(いいところでした)ということを願うばかりです。
個人的な感情としては、1日を擦り減らし、RTといいねをしていった人たちを監視することになってしまったので、どうせなら人生初の1ツイート1万いいねには到達してくれと思っている。(数に意味はないんじゃなかったのか?)
ある意味、この日記も、ツイートを拡散させた大半の人が、俺という人間には特に興味を持っていないことを確信しているからこそ書ける内容ではあるのかもしれない。
この記事がすごく良かった。
2032年の鴨川でタイムカプセルを開ける瞬間にこそめちゃくちゃ興味があるし、タイムカプセルが開けられた2032年以降も、輪廻のラグランジェの残滓のようなものは残り続けて、ゆるやかに続いていくのではないかと思うし、そう願ってしまう。
土着して付喪神になるコンテンツのことを思うと、いつも『作る: アマガミSSテレビ』のことを思い出してしまう。この世で一番好きな文章の一つで、愛という言葉の行きつく一つの答えだとも思っている。
今日の一ツイ
インターネットノーガード戦法の話をしたあとにツイートがバズり、自分が行っているインターネット自己防衛についての詳しい解説をすることになったクソダサいアカウントになってしまった。
あのツイートにフォロラジの宣伝リプライをしたら、治安の悪いところに個人情報などが流出することになってしまうので、一番最悪のタイミングなんだよな。
ナイショなんですけど、次回収録回がまさにお見送り芸人しんいちスタイルのラジオをお送りしているので、クソ叩かれる可能性がある。(しかし、俺は次回収録回が気に入っている)
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