オンラインゲーム廃人生活で得られた意外な無形資産
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オンラインゲーム廃人生活で得られた意外な無形資産

はじめに

初めまして。GIZAGIZA-HEARTと申します。私は高校時代にFINALFANTASY XIと呼ばれるオンラインゲームをプレイし、約4年間にわたり廃人生活を送りました。今でこそ真っ当に社会人になれていますが、当初はこのことを人に話すことすら恥ずかしく自分の中の黒歴史として扱っていたのですが、実はこの期間に一生物とも言えるような無形資産が自分の中にできていたのではないかと最近振り返っています。そう思えるようになったからこそ当初を振り返り、自分の原点を考えようと思いました。加えて、今後自分が研究したいと思っている分野の洞察にもつながると思い、こちらに書き記してみることにしました。

こちらのノートでは、オンラインゲームというものがどういうもの・世界なのかを簡単に触れ、そのオンラインゲームでの廃人生活を送ったのか。そしてオンライン空間やVR空間の今後の可能性を元オンラインゲーム廃人ならではの視点で述べていければと思っています。

FINAL FANTASY XIで知ったオンラインゲームの世界

私がプレイし始めた2000年頃は、オンラインゲームの黎明期で、特に国産MMOとしてはFF11がほぼ初めてでした。そんな中、私と同様に初めてオンラインゲームというものに触れたひとも多かったように思います。当時初めて、様々な準備の末、初めて飛び込んだオンラインゲームの世界で人と繋がった瞬間は、表現しようのないくらい感動したことを覚えています。元々私はFFシリーズのファンだったのですが、FF11をプレイして私の中でゲームの既成概念が壊れました。

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そこには人々があり、生死があり、生活があり、経済がある。ゲーム会社の技術によってオンライン上に作られた新しい世界に心の底から感動したのを覚えています。 FF11では通常のようなRPGのパーティをプレイヤー同士で作り狩りに行ったりしました。基本的にはRPGのプレイスタイルがメインの遊び方ですが、クラフトして商品を販売したり、採集したりなど、遊び方に多様性がありました。まさにそこに生活があるような感覚でした。

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オンラインゲーム経験で得られた知見や無形資産

このようなFF11で私が自身の経験を通して得られた知見や資産を書いてみます。オンラインゲームと言いつつ、FF11ならではの話も多いかと思いますのでご了承ください。

世代・制限を超えたコミュニケーション経験

現実においては年齢や肩書きというものが前提にあり、その上にコミュニケーションが成り立っています。特に日本人は肩書きや上下関係でかなりコミュニケーションのあり方が決まってしまいます。

ですがオンラインの世界では基本的に関係性はフラットです。なのでコミュニケーションに気を使えば誰とでも友達になれるし、逆に失敗すれば敵になります。私は高校生の時、4〜5歳上の大学生や社会人と同じギルドにいました。現実だったらそのような関係性はなかなか作りにくかったりするのですが、オンライン空間ではそれが可能でした。当時高校生だった私は少し上の大学生の話を興味深く聴いていたことを覚えています。

何よりもどんな人でもリスペクト持ってコミュニケーションをすることが重要であることをこの経験で学んだ気がします。謙虚や親切な人は好かれますし、自己中心的な人や自慢ばかりする人はやはり嫌われるのです。基本的にはコミュニケーションやVR空間上での見た目などでしか、その人を判断する基準がないからです。

チーム連携やコミュニケーション・コミュニティ設計

あくまでチャットベースですが、4年間の膨大なコミュニケーション機会が日本語・英語でありました。文字ベースでのコミュニケーションにはかなり慣れました。文字コミュニケーションは口頭以上に気を使う必要があります。基本的には文字で話すことは冷たく伝わるためです。

私はパーティのリーダーをすることが多く、チャットを通して効率的にプレイすることや、パーティメンバーで楽しくプレイすることを意識することが多かったと思います。これは同時にチームマネジメントを考える機会でもありました。

またリンクシェル(ギルドのようなもの)リーダーをしていたこともありました。ただ、このリンクシェルは基本的にはコミュニケーション機能しかなく、それ以外のメリットはユーザーにありません。なので、コミュニティ・コミュニケーションの魅力を高める必要がありました。参加してくれてるメンバーへの対価なしでのコミュニティ維持の難しさ、あるいは対価設定の必要性を学んだ気がします。こういうコミュニティやコミュニケーションの向上においては実は高いプライドも邪魔になります。くだけた自分・弱い自分を見せて愛嬌を見せることも、相手と心的に近くなる上で重要であることを学びました。

グローバルでの考え方の違い

これもFF11ならでは、かもしれませんが、FF11では日本人も外国人も同じサーバーでプレイしてました。したがってよくアメリカ人などの外国人と一緒にプレイしていたこともありました。

ここで非常に面白かったのが日本と欧米の価値観・プレイスタイルの違いです。例えばパーティを組んで狩りに出かけるとき、日本人メンバーはしっかりメンバー構成を考えて、連携なども街で打ち合わせをしてから始めます。一方欧米プレイヤーは個人主義で、各々のプレイスタイルも人にあまり強制されることもなく自由にプレイしていました。

日本人は一回パーティを組んだら各メンバーすぐに抜けることはなく、2〜3時間立つまで一緒にプレイし続けます。一方で欧米メンバーこの文化の違いで時折衝突が起きているのも見受けられました。

こうした経験の中で、やはり日本人はプロセスやチーム連携を重視しがちなんだなあと感じました。加えてルールや常識から逸脱した行為を嫌う文化がありました。(ネットで晒されるなど)日本人の中には欧米メンバーの文化を嫌う傾向がありましたが、私はどちらも良い面・悪い面があるように感じていました。

ある意味グローバルの縮図をFF11のVR空間の中で体験できたとも言えるため非常に貴重な経験でした。

制約と自由度のバランスの重要性

FF11は開始当時無秩序に近かったと思います。人によって様々なプレイスタイルがあり、経済活動がありました。チートに近いこともありました。また世界も広大で、踏破することが難しったことを覚えています。だからこそ夢中になれるものがありました。一方で、自由度が高すぎるが故にRMT(リアルマネートレード)を目的とした業者の横行などもありました。このため純粋に楽しみたいプレイヤーが不利益を被ることも多々ありました。

そうした対策のため制約を設けることはとても大事だと感じました。一方で、自由度が減るとプレイヤーにとってのワクワク感も大きく減ってしまいます。最近のオンラインゲームなどでは効率的にプレイできる一方、レールがしかれすぎてしまっている為、このワクワク感が少なくなっているように感じています。そのため私はバランスをとることが大事だなと感じました。

なぜ私がオンラインゲーム廃人になれたか・なってしまったか

私がオンラインゲームにハマってしまった理由。それは単純なゲームの面白さ、というよりはそこにゲームを超えたコミュニティがあったからだと思っています。多くの人は二面性あるいはそれ以上を持っており、その隠れた人間性を出したい欲求があるのではないかと私は考えています。さらに匿名空間だからこそさらけ出すことのできる自分の本質・ありのままの自分があるのではないかと考えています。ただゲームの話をするだけではなく、自分のリアルの話や悩みなどを話す機会もありました。そこが魅力だったポイントではないかと考えています。私にとってFF11はそういう場だったように感じます。いまでこそ、様々なVR chatに代表されるようにオンラインサービスやSNSがでてきているのですが、当時は私の中ではこういったMMOしかありませんでした。

オンライン空間とコミュニティの可能性は無限大

オンライン・VR空間は空間を超越して、価値のある人、同じ目的を持った人が集うことができる可能性に満ち溢れた手段です。が、上記でもふれた通り、私は自由度と制約のバランスが非常に重要だと思ってます。この設計が世の中のVRサービスを見ても、まだうまく設計されていないような気がしています。

こうしたオンライン空間とコミュニティ・コミュニケーションのあり方・設計について研究していきたいと考えています。

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東京大学学際情報学府の矢谷研に社会人博士で所属。雑食エンジニア。HCI/XR/Edtech/communication周辺で研究。ソニー→スクエニ→リコー→現在マーケティング会社で研究エンジニア・ディレクター。元FF11ネトゲ廃人。ゲーム開発者。からんでください!