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教育って何のためにあるんだろう?

この問いは1年前にスウェーデンに教育施設の視察に行った際に

深く向き合うことになった問いです。

1年がたった今、この場を借りて

再び、この問いと向き合ってみようと思います。

「教育って何のためにあるんだろう?」

みなさんは、そんな問いをもったことはありますか?

勉強ができるようになるため

社会の一員としてのマナーを身に付けるため

教育には色々な役割があると思います。

その中でも、最も重要な役割は

私は「社会で豊かな人生を歩むための力をつける」ことだと感じています。

そして、教育を豊かな人生を歩むために必要だと感じていることを

3つの視点から経験を通して伝えます。

目次

1.自分の可能性と向き合う

2.社会の選択肢と向き合う

3.豊かに生きることを学ぶ

1.自分の可能性と向き合う

▽自分の意志を求められる就職活動

就職活動のときに何度も聞かれました。

あなたの大切にしている価値観は何ですか?

あなたはどのようなことがやりたいことですか?

先行きのわからない時代。

今まで以上に、自分の軸をもとに選択をし、

行動していく人が社会には求められている。

周りの友達を見ても自分の軸を持って、行動できる人が

楽しんで就活をし、内定をもらっていく。

しかし、就職活動を楽しめている人は少ない。

自分のありたい姿、やりたいことって何だろう?

そんなこと急に聞かれてもわからない。

そんなこと考えたことなかった。

自分がどうしたいのかわからない。

わからないから不安で仕方がない。

そんな相談を友達から多く受けます。

わからないのは、その子が何も頑張らずに歩いてきたからでしょうか。

話しを聞いていると、そうでもないのです。

人に与えられた正解を答えに、レールを走って生きてきたから

自分なりの答えを出せといわれても、わからないのです。

わからない人たちが悪いのでしょうか・・?

そんなことはないのだと思います。

まだ自分のモノサシを作る材料を知らないだけ。

どんな人も気付きさえあればきっと自分のモノサシを作ることができる

社会で生きていくために、自分のモノサシは必要なのに

学校で自分のモノサシを作る場所はどこにあったのだろうか?

自分がどんなときに嬉しくて、悔しくて、悲しくて

自分がどんなことなら頑張れて、どんなときに頑張れないのか

そんな1つ1つを感じる経験がなければ、

向き合い気付く機会がなければ、

きっとみつかることはないのに。



▽高校生の「自分なんか」は聞き飽きた

大学1年生のときから今までの3年間

2時間の授業の中で、高校生の自己探求を大学生がサポートする

高校生のキャリア教育事業に関り、様々な高校生と対話をしてきました。

その中で、高校生から何度も後ろ向きな言葉を聞きました。

・自分のことが嫌いだ。自分なんか頑張ったって何も変わらない。

・やりたいことなんかない。このままでいい。

・周りのみんなに嫌われるのが怖いから、自分の意見が言えない。

・とにかく失敗したくない。失敗するのはダサい。

などなど、どうしてこうも後ろ向きになってしまうのだろうか・・・

私にとって、とてもこの課題が大きな課題に感じた。

だから、私はこの2時間で誰よりも高校生の可能性と私は向き合おう!

そう思い、この2時間を

高校生が自分のもってない価値観に触れ、自分と向き合い

自分って変われるのかもしれない!

と前を向いてくれる。

そんな時間にすることに情熱を燃やしていた。

そして、実際に少しでも前向きになってくれる高校生がいることにやりがいを感じていた。



しかし、あるとき思ったのです。

どれだけ目の前の高校生を2時間で、自分のできる形で前向きにしても

また自分の目の前に現れるのは、後ろ向きな高校生

(もちろん全員が全員ではまったくないです)

何がそうさせているのだろうか・・・?

2時間の授業の対話で私が行っていることは

ありのままの高校生を認めるということ

高校生を1人の人間として客観的に見つめる

ただ、それだけのことなのです。

それだけのことで、「私は変わりたい。もっと変われる。」

涙ながらに言ってくれた高校生も何人もいました。

それだけのことで

泣くほど自分の中に何かを抱え込んでいるのに

学校にも、家にも不安を吐き出す場所がない

自分を自分として認めてもらえる場所がない

非日常的に2時間、自分について考えるのではなく

学校の中で1人1人ともっと向き合える場所であればいいのに・・

そう感じるようになりました。

だけども、それができない難しさは、教育に関心をもってきて、

学ぶ中で、重々感じました。

だけども、少しでも1人1人を尊重した教育を日常に。

そんなことが、なんとかできないものか。

まだまだ考えたいし、諦めたくないのです。

2.社会の選択肢と向き合う

▽起業したいという高校生との出会い

就活中に小さなある教育企業のインターンにいった

その企業は

「今の日本の学校教育は思考力が育たないから受けても無駄だ!」

という考えをもっていた。

私がその企業の1DAYインターンに参加したときに、

起業がしたいとの理由で、

そこで長期インターンをしている高校生が一緒に参加していた。

高校は意味がないからやめたと言う。

普段、義務教育のしがらみにかかった高校生しか見ていなかったから

自分の意見をしっかり伝える。自分で何でもやりたがる。

その高校生の主体的な様子に驚いた。(ただ、協調性がない・・)

その子に興味が湧いたので、インターン終わりに色々聞いてみた


「学校やめるの怖くなかった?」

高校生は言った

「学校はいらないからやめたの。

意味のわからない校則に従うだけで、思考力がつかないでしょ。

だからいらないものを捨てるのは怖くない。」

(社会でやりたいことのために、言われたことにYESと従うことが

必要なときもあるぞ・・)

こんな極端な考え方によく高校生にしてなれたな・・そう思った

そのときに思い出した。

企業説明の時に、その会社が何度も言っていた

「思考力の育たない学校教育はいらない」と。

その考え方をこの子は心底、信じているのだろう。


「学校をやめて普段は何してるの?」

高校生は言った

「学校をやめる条件として親に自分で生活費を稼ぐように言われたから、

インターンとバイトしている」

そうなんだ。バイト漬けの日々。生活は苦しそうだった。


「起業ってどんなことがしたいの?」

高校生は言った

「わからない。」

え?わからないの。これからどうするの・・・


ここまで話してこの子の未来が不安になった。

学校教育はいらない。

きっと、そう強く言われて、そんな気がして選択したのだろう。

この子は経歴としては、高校をやめ、中卒となった。

しかし、社会はまだまだ学歴社会の一面は否定できない

否定できない限り、いくら思考力を鍛えようと、

勉強することを選択しないことは将来の選択肢を狭めることに繋がる。

この子はそこをどれだけ理解した上で、選択したのだろうか。

中卒で起業して、大成功!そんな夢物語りは、

ほんの一握りの成功体験であると

どの程度理解して選択したのだろうか。

教育が社会で豊かに生きるためのものであるならば

社会を知らないまま、選択を後押しすることは

あまりに無責任ではないだろうか。

教育は社会の選択肢を最大に提供し、

その道を自分で選ぶためのサポートであるべきではないか。

そんなことを考えました。

3.豊かに生きることを学ぶ

豊かに生きるということ。

「豊かさ」についてスウェーデンに行き、考えさせられました。

その中でも、1つ印象的だった話を書きます。

▽1人ではできない。みんなならできる。

スウェーデンの高校に行ったときに聞きました

「自分の社会は自分で変えていけると思う?」

高校生は言った

「1人では無理だけど、みんなとならできるよ。

僕には苦手なことは沢山あるけれど、得意なこともたくさんある。

だから、みんなとならできる。」

私は、衝撃が走りました。

人として何かが圧倒的に負けていると思いました。

自分のできないとこをは認めて

自分のできることは自分で生かそうとし

そして、周りを巻き込んでいけばなんだってできると知っている。

自分の可能性を信じている。

こうやって、前を向いて、歩んでいくためには

「完璧じゃなくてもいい。でこぼこだっていい。」

そう知っていることが豊かに生きるためには必要なのかなと感じました。

日本の高校生は「完璧な子」という虚像を追い求めすぎているのではなかろうか。昔の私もそうだった。

でこぼこだったって、ありのままでいい。

そう歩むことができたならばと思うのです。


最後に

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

教育って何のためにあるんだろう?

社会で豊かな人生を歩むための力をつける

これは私なりの定義です。

そして、そのためには

自分の可能性、社会の可能性と深く向き合い、豊かに生きるための考え方を知る必要があると私は考えています。

あくまでも、私の1意見です。

正解はないと思います。

だからこそ、

教育って何のためにあるんだろう?

そんな問いに向き合って、

一緒に考えられる人が増えたらいいなと心から思うのです。