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【ASD的考察】女子力てなんだ?【言語感覚とマジョリティ】


ふくだは女子力が高いらしい、が


女子力がどういう意味なのかがイマイチわからない

言われるのは別にどっちでも良いのだけど、「女子力高いね〜」の先は、無いのか?と…
それ以外は…???となるのだ 
だって具体性がひとつも無い言葉だから「うん、で?」と思ったらそれで終わりなので「…え?終わり!?」となってきた

人の会話から諸々を習得する特性のおかげで、女子力シチュエーションをよく見かける時の返事や雰囲気で「ん?これはディスりだったの…か???」の今である。
しかも答えは「そーなんだよねー」ではなく「そんなことないよ!」的な否定がマストなの?と。
単純に一般的な嫌味やディスりに到底鈍感なだけで、もしかしてあんまり良い意味ではないのか?と。

鈍感ラッキー🤞

そう、つまるところそれがディスりでも褒めでもどっちでもいいのだけど、ASD的なのか「それなんで使うの?」という言葉が他にもある。
おそらく定型の人たちにはちゃんと伝わる周波数の言葉なのだろうけど、私にはよくわからない言葉の数々。

よって、

全く伝わってない=鈍感=相手としては全く面白く無い=💥▶︎😇

ASDぽい!(今日もげんき


女子力=家事/美容能力高い?



世のフェミニスト、ここだろ!怒るの!笑

あ、もう怒ってんのかな(ネット見ないからわからん

家事/美容能力なんて今の世の中、男性も高い人が沢山いるけど、未だによく聞くので別の意味があるのだろうか?

いや違うな

私の失敗は言葉に感情/意図を乗せて出来上がって発露された時に、感情も意図も勝手に抜いて受け取るところだと最近わかってきた。
あとそれを失敗とも思ってないところ。

しかし「女子力」になんの感情/意図が乗っているのかわからない…

家事/美容能力が高いなら喜んでいいはずだし、何らかの味付けをされた「女子力」には素直に喜んだら良くない言葉になっているはずだ

…どうでもよくないか…?(もしかしてダメなのはここ?
「どうでもいいなら書かなくていいだろ」
と読んでいるあなたは思うのかもしれないが、どうでもいいのは「女子力」が高かろうが低かろうがどうでもよくないか?の意味である。

多分そこに内包されている感情/意図が理解できないと解明できないっぽいここまでもわかった。

この先は1人では難しそう1人では現時点でここが限界(考える優先順位下がる
なので1人だと時間かかる


「語彙力」という意味不明ワード


例)
〜〜〜〜て思いました(語彙力)


本当は家事炊事関連こんなかんじでやってます、を書こうとしたら「女子力高いですね〜」とよく言われたのを思い出して「これ書いたらまた言われるのか」と思ってこちらに変えた次第。

言われても良いんだけどその意味がわからないから、言われても「あーそうらしいねー」しか言えない

これぞ不毛な議論

で、SNSなどでよく見かける「語彙力エクスキューズ」だけど(今作った)これは言いたいことがわかる。

「語彙力が足らないからこんなんでごめんね」て意味だと思う(合ってるよね?

それ、言う必要ある?とずっと思っている

あと、言われてどう返せばいいの?ともずっと思っている
相手のためではなく自分のために書いてるんだろうな

(語彙力)て、己の不足を一々書かなくていいと思うんだけどどうして必要なんだろうか、がずっと謎だ。

あれを書いたら何かが変わるのだろうか

もしかして私の知らないところであれを書くことがなんらかの条件下ではマストになっていて、もしくは何かの共通の反応をしなければならない、とか?あるのかもしれない。


関西人以外が使う「知らんけど笑」という責任放棄の言葉


このメカニズムはよくわかる

そして男性にこの言葉を使われると一気に冷める

しかし、やはり大阪人の母親も「本当に責任を放棄したい時」=「わからない時」にしか使わないので「知らんけど」は苦手である

アドバイスをしたは良いけど、責任は取れないからそこは自分で確認してね的な、実は責任感が強い人がこれを使うのもわかっている。

なので「そんなところまで気を回して大変だなぁ」とも思っているので、ただただ嫌なだけではないけど、そこを慮っているのは私の優しさであることも忘れないで欲しい

どちらかと言うと責任というよりは自己保身に近いと感じるので拒否感があるのだろう



主観で言葉は発せられる



なので私の解釈がこれなだけで、便利だから人は使うのだろう

思考を働かせることをせずに「なんとなく伝わる言葉のラベリング」というか

最近わかったのは人はそこまで言葉の意味を考えていないということと、それが悪いことではないと伝えないといけないということ

なのでメカニズムや理由とかそんなことよりも、言葉も会話も「なんとなくの意味でなんとなく使う」くらいのものだと最近は理解している。

対話、議論、話のテーマの掘り下げや思考の共有/共感なんて、普通の人は、特に女性の集団は求めていないらしい

驚愕の事実すぎる

しかもそれを誰も教えてくれなかったという私の嫌われ具合と、筋金入りの鈍感具合バッドマリアージュを起こした気がする

対話(情緒メイン)、議論(事実ベース)

そういうものではなく、おそらくだけど、特に女性同士となると、

その場を保つ、楽しむ、周りに合わせたり求められている言葉を使う

これが目的であり正解なのだろう

そこで生まれる共通言語や共通感覚は、認めたくはないけどやはり、定型のなせる技なのだろう

くやしーー!!仲間に入りたーー(かった

仲間に入りたかったけど、無理だ、これはできない
潔く負けを認める

この記事を読んで「めんどくさいこだわり」と思うのがマジョリティ/定型で、「あーわかるゥー」    となるのはマイノリティ/ふくだの仲間予備軍である
後者は大変だろう

とりあえず違いすぎる傾向の人とは早々に距離を取る、がお互いの最善策であると編み出したふくだである

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