自己肯定感の低さから、人生が転落した話
私は昔から自己肯定感が異様に低かった。そしてそのせいで、いじめられっ子になり、性格も歪み、高校を卒業して親の手を離れた瞬間から、私の転落人生は始まった。
若い頃の私は、極度の臆病者で無理な挑戦はしない。できそうなことだけ中途半端にやる子どもだった。そんな私は自分の伸びしろを自分で奪ってきたし、周りに流されて自分の意見もない人間だったと思う。
友人は子どもの頃から今に至るまで極めて少ない。
いじめられっ子だった子ども時代
私は子どもの頃、人一倍成長が早かった。精神的にも肉体的にも、だ。
小学3年生の頃には胸が膨らみスポブラを着け始めた。陰毛も生え始め、小学4年生の初めには生理も来た。
そんな私が初めていじめられたのは、小学3年生のブールの授業の時だ。クラスの誰よりも成長が早かった私は、更衣室で好機の目に晒された。そしてクラスメイトたちは、私が水着に着替える時に巻き付けていたバスタオルを奪い取って、私を嘲笑ったのだ。
そこから、いじめはどんどん加速していった。
クラスの男子たちは私のことを「ブス」「ブタ」「キモい」「こっち来んな!」と罵り、女子からも仲間はずれにされる日々。
私は自分が惨めだった。自分のことが嫌いだった。自分の何もかもがコンプレックスの塊だった。
そしてそれは中学に入ってから、さらに加速していった。
中学校は、二つの小学校から進学する。私の通っていた小学校は人数が少なくて、大多数がもう一つの小学校から来た子たちだった。私の小学校時代を知らない人がほとんどの世界。ドキドキ感と共に、新しい友達もできて毎日がワクワクで楽しい中学生ライフが・・・スタートしたはずだった。
最初の中間テストでぶっちぎりの1位になった。
入学早々、男子から告白もされた。
純粋にめちゃくちゃ嬉しくて、順調な中学生活に毎日自然と笑顔があふれていた。
「あんた、なんでいつも笑ってんの? いっつも笑っててキモいんだよ!」
ある日、クラスの女子にそう言われた。
”笑うのは、悪いことなんだ・・・”
そう思った私は、その日からうまく笑えなくなってしまった。
そのうちに私に嫉妬した同級生たちが、私の良からぬ噂話を流すようになった。そして、夏休みが明ける頃には、完全に孤立してしまったのだ。
セックス依存症に
そんな私の淋しい心を埋めてくれたのが、1人の男の子の存在だった。
彼は、女子たちからいじめられる私に優しくしてくれた。そして好きだと言ってくれた。学校の中で、彼の存在だけが唯一の救いだった。
孤独な昼休みや放課後、話す友達のいない私にとって、彼の存在には本当に助けられた。塾にも一緒に通ったし、数学が苦手な私に勉強を教えてもくれた。
そして私は中学3年生の夏休みに、彼と初体験をしたのだった。
彼の存在のおかげで、なんとか中学校生活を乗り切って、私は中学の同級生が誰も行かない学区内で1番の進学校に進学することになったのだ。
高校生になり、彼は親戚の家に下宿して男子高に通い、私は自宅から電車で1時間半かかる女子高に進学した。すれ違う日々が始まり、間もなく彼とは破局を迎えることとなった。
それからの私は、勉強そっちのけで色々な男の子と遊ぶようになった。女の子は陰口を言うし怖し、変な馴れ合いがあってめんどくさいから・・・。
反面,男の子たちは私に優しくしてくれた。だから男の子と遊ぶのは気が楽で楽しかったのだ。
学校帰りに男の子と遊んではセックスする。
塾をサボってまで遊び呆ける。そしてセックス。
もう、当時の私は頭がおかしくなっていたのだと思う。
もちろん成績は恐ろしいくらいに右肩下がりに。進学校でみんなが必死で勉強をする中、私は赤点、追試のオンパレードになった。
それでも、その当時の私はそんなことどうでもよかったし、その場その時が楽しければそれでいいと思っていた。
そしてとにかく、何人もの男の子と知り合ってはセックスを繰り返していた。
気持ちいいかなんて正直わからない。でも、その時だけはなんとなく寂しさを忘れられたのだ。
自分に自信がないから、自分のことが好きでないから、セックスをしている最中だけは男の子は私のことを見てくれると自信が持てた。心が満たされる気がしていた。そのときだけは・・・。
若かったとはいえ、本当にいい加減に生きてきた高校時代。中学時代に私をいじめてきた子たちを見返したくて、変に気持ちが突っ張っていた部分もあったのだと思う。
大学生や、少し不良の男の子とばかりつるんで、毎日をただただ自堕落に生きていた。
夜の世界へ・・・
高校卒業し専門学校に進学すると、私の自堕落な生活はますます加速していった。
私の小中学生時代を知らない人たちに、自分がいじめられっ子で、コンプレックスの塊で、自信がないということがバレたくなかったんだと思う。
今思えば、当時も笑顔を作ることすらできなかった。中学時代のトラウマを、ずっと引きずっていたのだ。
そんなカッコ悪い自分・弱い自分をごまかすために、当時の私はとがっていた・・。
私はキャバクラでアルバイトをすることにした。
学校の教材費が思いの外かかったし、何よりも遊ぶ金が欲しかったのだ。
専門学校1年の夏..
学校の仲間数名で、地元のキャバクラ店に体験入店した。
緊張しながら面接を受け、貸出用のドレスに着られて、ガチガチになりながら初仕事をしたのを今でも覚えている。
そこから週3日程度、キャバクラでアルバイトを始めることとなる。
夜の世界に飛び込むと、そこには今まで知らなかった世界が広がっていた。
若くしてDVされて夫と別れたシングルマザー
無数のリストカットの跡がある女性
ホストに入り浸って何百万も貢いでいる女の子
ビックリするくらい、大変な問題を抱えている女性が多いことをそこで知った。
水商売で働く女の子は、苦労が絶えない子が多く、自己肯定感が低い傾向にあるように今になって思う。
2年間、キャバ嬢の二重生活を続けながら、なんとか毎日学校には通っていた。
そして、就職活動の時期がやってきた。
みんな自分から進んで就職説明会や夏休みのインターンに行き、どんどんと就職先を決めていく。
しかし私は、自分に自信がなかった。社会人になる勇気も持てなかった。
自分なんかが入社して、まともな仕事ができるのだろうか・・・。
そんな風に、病的なほどに自信のなかった私。
どこにも面接に行けず、進んで就職する気にもなれなくて、刻一刻と卒業の時期が迫っていった。
そんな時に知っている会社から「うちに就職しなよ」と声をかけてもらい、就職活動する事もなく、就職先が決まったのだった。
ヒモ男との出会い
キャバクラのバイトを続けていたある日、私は1人の男と出会うことになる。
水商売の男で、とにかく饒舌だった。こちら側に話す隙を与えないくらいに、よく話す。世間知らずな私に、いろんなことを教えてくれる。いい事も、悪いことも。
押しの強い彼に、上手く断ることのできない私は、どんどん流されていくこととなる。
そして徐々に一緒に過ごす時間が増えて、そのうちに付き合うことになった。
いつの間にか、転がり込むように同棲を始めて、いつの間にか私の方が彼を養う立場になっていった。
仕事をせず、生活費すら稼ごうとしない彼に、私は何も言えなかった。文句や反論を言いたくても、言葉が何も出てこないのだ。
これも、昔から自分の意見をうまく言えず、自分の感情を言語化することが極端に苦手だった事によると思っている。
彼にはモラハラ気質なところもあり、怖かったのもあるのだけれど…どんどん奴隷のように彼の言いなりになるようになってしまった。
こうなってしまった根底は、自己肯定感が低く、自分のことを大切にできなかったことが原因なのだと思う。
彼に何かを言われれば、まず真っ先に「私が悪かったんだ・・・」と思う思考回路。「お前は何もできない子だ」と言われ、さらにも増して自己肯定感が低下する。
しまいには、「こんなにダメな私を拾ってくれるのは彼だけ・・」とまで思ってしまう、恐ろしい思考回路になった。
会社に行き、夜はキャバクラで働く毎日。しかも彼の行動・言動に振り回されながらの生活だった。
それから少しして、とある事件があり会社はすぐに退職した。
そして、完全に「夜の蝶」となる。
デリヘルへの転身
専業キャバ嬢になった私。毎日働いて彼との生活を支えていた。
朝まで働き、夕方に起きて出勤する。
そんな生活が2年ほど続いた頃、生活にいろいろと大変なことが起こり、大金が必要になった。彼から風俗で働くように言われたわけではなかったが、無言の圧力で、そうしなければならないのだと感じていた。
私は腹をくくり、意を決して地元のデリヘルに面接に行った。
…そこから13年。
私は風俗の仕事を続けている。
自己肯定感の低さからどんどん転落していった人生。
嫌なこと、辛い思いは数えきれないほど経験したし、ネットの叩きで人間不信になった事もあった。
指名を取るためにたくさん悩み、ガマンも努力もたくさんしてきた。
でも結果的に風俗は、私は自分の肌に合っている仕事だと感じている。
人間の良いところも汚いところもさらけ出して、肌と肌の触れ合う特殊な仕事。
お客さまの年齢層も職業も様々で、普通に生きていたら出会うことのない、いろいろな人のいろいろな世界に触れることのできる仕事。
そんな風俗の仕事のおかげで、人の心や行動を考えるようになり、トラウマだった笑顔も練習によって取り戻すことができた。精神的にも人間的にも成長できたと思っている。
私は風俗の仕事をしたことを、人生のマイナスにしたくはない。
風俗の仕事で学んだことは大きくて、以前の私のネガティブな性格・自己肯定感の低さ・自信のなさ・他人を羨んでしまう心・怠慢・・・そういうマイナス要素から脱却することができたと思っているからだ。
私が子供の頃からずっと感じていた「生きづらさ」の根底にある原因は、「自己肯定感の低さ」にあった。
だからこれからの人生は、しっかりと自分の意見をもち、自分を否定することなく大切にして生きていきたいと思う。
長文のまとまらない文章になってしまい、申し訳ありません。
私のこれまでを振り返りつつ、私が転落人生を歩んだ理由を、自分なりに考えてみました。
自己肯定感は、しあわせな生活を送るために本当に重要だと思っています。
私は現在、子どもを育てる上で、この自己肯定感を高めるように意識して接しています。
"自己肯定感とは、ありのままの自分を肯定すること"
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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