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「エトセトラ 特集:私の私による私のための身体」を読んで

待ちに待っていた雑誌が発売された。エトセトラブックスから発売されたフェミマガジン『エトセトラ』だ。今回の号は責任編集長が長田杏奈さん。愛読、というか、ほとんど日記のように書き込みを続けている本『自尊心は心の筋トレ』を書かれた美容ライターさんだ。(わたしは買った本に尋常じゃないほど書き込みをするくせがある。これについてもまた書きたい)

今回の特集は「私の私による私のための身体」。事前に行われたアンケートに1300人を超える人が参加していた。わたしもその一人だった。アンケートの質問自体がとてもおもしろくて、なんだかカウンセリングシートみたいだった。答えた後、自分の中身が自分自身で整理整頓できたような感覚になった。とてもよかったので、友達にもすすめた。わたしと同じような感覚になったとツイッターで書いている人もいた。やっぱり!という喜びを感じた。それからずーっと、この雑誌が発売されるのを楽しみにしていた。で、読んでみて思ったけれど、この雑誌はわたしにとってただの雑誌ではなかった。自分の感じたこと、知らない誰か(もしくは友達)の感じたこと、そのふたつをこっそり照らし合わせることのできる雑誌だった。照らし合わせたからって別になんだって話でもないんだけど、でも「ああみんなはこう思ってるんだ」って知れる、大人数でやってる交換日記の良いところだけを集めたみたいな雑誌だった。

すべてが良かったけれど、今とくに心に残っている部分を抜粋する

自分の身体が自分のものでなくなったような気がしたことはありますか?それはどんなときですか?———やりたくないことをやらされていて、その気持ちを外に出さないとき

↑すごいわかる。

脱毛をしたことがありますか?したことがある人は、どういうきっかけで脱毛をしましたか?という問いに対して、「Qの「脱毛」は自己処理を含めたつもりだったのですが、回答では「脱毛=レーザー脱毛」と認識される方が多かったようです。」という長田編集長の言葉

↑わたしも答えたとき、無条件にレーザー脱毛のことだと思っていた。それほどまでに、女性が、わたしが、体毛を自己処理するのは一般的と思わされているのだと初めて気がついた。

はらだ有彩さん『謎の生物ウネウネいい感じの気持ちよさを探す旅にでるの巻』の「待ちなさい」と言った後、よくわからない言葉で追ってくる「手」、それから、丸いままの名前を知らない丸を思い出すけど、「……」のあと自分のことに戻るウネウネ

↑この「手」のようなイメージをよくわたしは感じる。エッセイにも書いたし演劇にも出した。それから、丸というキャラクター。変わらない誰かのことを思い出すとき、わたしはそちらに意識を引っ張られるけれど、ウネウネは少し考えた後、えいやと突き進んでいくからカッコいい。

松田青子さんのエッセイの中の「でも、このままだと、家父長制の思う壺だ。教育の敗北だと信じてきたけれど、彼らにとっては教育の勝利なのだ。整理が無理解のまま隠されている=家父長制のシステムが維持されている、なのだ。」

↑視点がぐるっと変わった。そうか、勝利の状態だったのか。そう思うと負けないぞという気持ちになってくる。

『ジェンダー化されにくい私の身体』綾屋紗月さん

↑書かれていることが、まさしく自分のことだと思ったし、自分が今書こうとしている物語の、まださぐりさぐりのテーマを端的に言いあらわしていて、感激した。

性行為やセックス相手に望むものは?———もう一生しなくていいと思ってます 

↑元気が出た。

「女性には「そういうもんだ」がいっぱい張り付いてるんです」「管理されるのは常に女性側なんです。それを多くの女性がうっかり受け入れちゃってる」「管理被害に遭ってるってことなんです」「女は小さいことは選ばせてもらえているんです。そこで満足してしまう。でも自分の人生をどうしたいかってことでしょう。」マイボディ・マイチョイスより

↑こちらも元気が出た。

一方、女子プロレスラーの特集が苦しかった。内容はとても良かった、元気をもらった、だから余計に苦しかった。わがままな話だけれど、一か月早く彼女に届いていたら…と思った。それぐらい元気と勇気の出る内容だった。

「大相撲と女人禁制」伊藤春奈さん(花束書房)

↑いま、被差別部落差別のことを調べている(というのもおこがましいが、便宜上調べている、という表現をする)ので、非常に興味深かった。被差別部落差別の当事者研究の中では、「穢れ」の概念は、仏教によるものであり、それを権力者が支配の道具に使った。被差別部落、女性、病人などを「穢れ」と指定したのは、「穢れ」の概念により支配をよりスムーズにし民衆を分断しようとしたからだ……というふうになっている。神道の側から見た「穢れ」についてももっと知りたいと思った。

「子どもたちが自分の頭で考える・対話するための性教育」「避妊の権利、なんでないの」「性暴力被害者のリアルと、法の中のファンタジー」「妊娠するからだとガラパコス中絶」これらもとても元気が出た。

思うに、知ると言うことは元気が出る。この閉塞的な状況が決して神によって運命づけられたものなどではなく、自分たちを管理し都合がよいように扱おうとする国、制度、権力による一方的なものだと知ることができるからだ。彼らのやっていることは、わたしたちを税をおさめる家畜にしようとすることと等しい。

『エトセトラ』にはほかにも読み応えのある記事がたくさんある。ぜひたくさんの人に読んでほしい。

最後に編集長である長田さんの、とても勇気づけられた言葉を引用する。

誰かが息切れしても、それを庇いながら粘り強く前に進み、一歩一歩陣地を回復することができる。

最近、わたしはまさしく息切れ中だった。ツイッターでは、めまぐるしく変わる、しかし、そうだ!もっとそっちへ行け!ようやくみんなで前へむかって進んでいる!と思える流れが、確かに感じられていた。でもそれにはバッククラッシュともいえるすさまじい憎悪による攻撃が付随していて、わたしはもう倒れそうだった。でもわたしが立ち止まったら、この流れをとめてしまうんじゃないだろうかと不安に思っていた。

だけど、もうそんな段階じゃないのだ。誰かが息切れしても、他の誰かが歩き、その誰かが倒れそうになったら、その頃には回復しつつあるわたしがまた歩く。そういう状況になってきたのだ。安心しよう、そして信頼しよう。そう思えた。勇気をもらった。

『エトセトラ』ぜひよんでください。きっと勇気をもらえます。

追記:次号の責任編集はなんと!少女都市『光の祭典』のアフタートークでもお世話になった、石川優実さんです!超たのしみ!アンケートも始まっています。こちらも書けば書くほど自分のことがわかっていくような経験のできるアンケートでした。ぜひに!

written by 少女都市(葭本) @shoujo_toshi



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