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シン・エヴァンゲリオン劇場版:||感想 「終わらせる」という覚悟が垣間見えた傑作

当然ながら、この記事はシン・エヴァンゲリオン劇場版:||のネタバレを多数含んでいます。未視聴の方はブラウザバック推奨です。損するぞ。

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まだブラウザバックしてないの?んもー

というわけで本題の前に今更ながら初めて体験した4DXの感想を少しばかりか。

4DXってすごいね

いやあ、あれ、すごいね。東京ディズニーランドの「スターツアーズ」や、シーの「ストームライダー」そのまんまの雰囲気を映画で味わえる感じ。

映画というより最早アトラクションだわこれ。戦闘シーンで座席がグリグリ動くのは勿論、車に乗るシーンでもちょうど車っぽく振動してくれたり臨場感を良い感じに増してくれるのがすげーよかった。

ただ、水関連のギミックは微妙だったかな。あんま実感がない。実感があるレベルまで出したらビチョビチョになるからアレなんだけど。

欠点としては2時間半強も座席がブルブル動いたり水や空気がプシャプシャしやがるので流石に疲れるところ。ぶっ続けで動き続けるわけじゃないけど流石にキツい。ポップコーンとか落ち着いて食えなさそうだよな。そして高い。基本料金+1000円も取られる。まあ、妥当ではあると思うけど。

体力と財力に余裕があるなら4DX超オススメです。序破Q4DX版も見ておくべきだったなぁ。

さて、ここから本題。まだ見てる未見のマヌケはマジでブラウザバックしろよ。知らねえからな。

結局シンエヴァとはなんだったのか

結局、シンエヴァは何を伝えたかったのだろうか。

突き詰めるとそれは恐らく、「辞めさせてもらいますわ」だったり、「エヴァを見るのはやめて現実に戻ろう」だとか、そんなところだと思う。

勿論こんなことは制作陣の誰も言っていないし、個人レベルの単なる邪推であるが、そうさせるだけの「店仕舞い感」が見ている途中でもう分かるぐらいには充満していた。

14年経ってシンジや我々の知るそれとは異なっていた人間関係、それに伴う過去の精算、エヴァにしては口でハッキリ詳細が説明されていく専門用語、決着する親子の確執、そしてエヴァンゲリオンそのものが世界から消えるという終幕。

本当に「終わらせるぞ」という制作陣の叫びが聞こえてくるような、まさしく完結編と言える作品だった。

我々視聴者に終わりを突きつけ、現実に誘導していくような幕引きは所謂「旧劇」と呼ばれる、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(EOE)を彷彿とさせる。大雑把に言ってしまえば、シンジが傷つけ合うことを恐れずに他者との共存を選択する結末も同じだ。

結局の所、文脈が同じ以上、エヴァンゲリオンという作品を通じて表現したかったものは『新世紀エヴァンゲリオン』の時点で出揃っていたのではないだろうかと思う。

それではシンエヴァは旧劇の焼き直しであったかと言うと、それは違うと、シンエヴァを観た人誰もが口を揃えて言うのではないだろうか。

それではシンエヴァは今までと何が違ったのか?

それは、シンジを始めとした登場人物たちが「大人」になれているかどうか、製作者たる庵野監督の心境の変化によるものが大きいのだろう。庵野監督は自分の作るキャラクターに自己投影する傾向が強く、それはシンエヴァのパンフレットのインタビューでも仄めかされている。

「:破」では、庵野さん自身が作るとどうしてもシンジ同様に自分自身になってしまうので、マリはそれとは違うキャラクターにしたくて外部の人に預けていたんだと思います。―マリについて語る鶴巻和哉監督 シンエヴァパンフp.73

つまり、冒頭から時間をかけて第3村の人々やアヤナミレイ(仮称)の優しさに触れて失語症から回復するシンジは、震災に影響を受けた「Q」を作った後に鬱病になってしまった庵野監督が周囲を取り巻く人々との関わりを経て回復したことと繋がっているだろうし、終盤に渚カヲルが恐らくTV版や旧劇も含むループに閉じ込められていたことを告白し、シンジを救おうとしていた行為は本当は自分を救うための行為だったと自覚するシーンは庵野監督のエヴァに対する姿勢のメタファーとしてかなり露骨な部類に入るだろう。

旧劇で暴力的に視聴者に終わりを突きつけても、当の本人はエヴァから逃れられなかったし、むしろ依存してしまったと自覚していたからこそ、あえて旧劇を踏襲したようなシーンを多く流し、旧劇と似たようなテーマで、やり残していたことを全てやり通す。これこそが庵野監督のエヴァの呪縛から逃れるための贖罪、シンジも口にしていた「けじめをつける」ということだったのではないだろうか。

庵野監督が新劇を作る過程で過去を受け入れ精算できたから、シンジたちも同じように過去を精算し、エヴァンゲリオンの無い世界を作り上げる事ができた。う~ん、単純明快。

つまりこの記事の冒頭で邪推した、シンエヴァの「辞めさせてもらいますわ」だったり、「エヴァを見るのはやめて現実に戻ろう」だとかは旧劇の少し毒を含むニュアンスではなく、やっと前が向けますわ!みたいな、そういう爽やかなニュアンスというわけだ。春のエヴァ大掃除、庵野の2時間半かけた吹っ切れました宣言、それがシンエヴァ。

庵野監督の多忙や悪化する精神状態によって投げやり気味になってしまったエヴァンゲリオンというコンテンツの終わり方をこうやって健全な締めくくり方に再構築できただけでも、新劇場版をやる意義はあったし、これ以上無い綺麗な幕引きになっただろう。

庵野に、ありがとう。

エヴァに、さようなら。

そして、全てのエヴァファンに

おめでとう。


とは言うものの、洞木ヒカリがアヤナミレイ(仮称)に、「さよならはまた会うためのおまじない」と教えたり、タイトルの最後についた:||は反復記号だったりと(これはループを指している可能性が高いが)まだまだ続けちゃえる余地を残してどっちに転んでも良いようにしているのもニクいところである。

空白の14年間やってくれ庵野~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


最後までお読みいただきありがとうございました。

シンエヴァを観てから湧き上がる感情を眠くなって限界が近い頭で必死にまとめているので恐らく色々文法とかおかしくなってると思うけど許してね

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