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ジラフ イン ザ ボトル

「ユーリがいなくなったぁ?!」
 いましがた僕が口頭でした報告に、課長の大きな声が事務棟中に響き渡った。部屋にある書類棚のガラス戸が震えるほどだ。皆びっくりしてこちらを見ている。
「飼育小屋の中にもいないのか?」
「本当に探したのか? またエリアの端っこにいて見落としたんじゃないのか?」
「あんな大きな動物がいなくなるわけ無いがだろうが!」
 課長がつばを撒き散らしながら続け様に僕に言葉をぶつけてくるが、僕だっていまだに信じられないのだからそんな非難の目で見ないで欲しい。
 あ、また課長の唾が僕の作業服に飛び付いた。この作業服は今日中に洗濯決定だ。
 ユーリは僕が勤務している動物園のキリン(厳密にはアミメキリン)の女の子の名前で僕が飼育を担当している。この動物園にはキリンが他に2頭いるのだが、この子は僕にとって特別なキリンだ。僕は今にも噴火しそうな(いや、もうしているのだが)課長に落ち着いたトーンで言葉を返す。
「サファリエリアの隅までちゃんと探しましたよ」
「飼育小屋にもいませんでした」
「それに飼育小屋にいればライブ映像に映るはずですよ」
 そうなのだ。この動物園では昨年、ユーリが妊娠したのを期に出産までの様子をインターネットで24時間中継するという企画を試みたのだ。企画も配信の準備も僕がやった。企画は大成功で、動画配信サイトでのライブ配信には最大同時で1万人が視聴してくれたし、来園したお客さんがキリンのいるサファリエリアに殺到した。そういう意味でこの子は園にとっても特別なキリンなのだ。飼育小屋のユーリのスペースでは今も僕が設置したカメラが稼働している。飼育小屋にいればそこに映るはずだ。しかし今、課長の机に乗っている古いディスプレイに映し出されているライブ映像には、空っぽの飼育小屋しか映し出されていない。
 課長は事務所に残っていた飼育展示科の男の子2人に一緒に探すように指示を出した。僕も2人と一緒に再び園内を探すことにした。ユーリが行けないはずのライオンエリアやペンギン氷山まで探したがやはり見つからない。探している最中に男の子の1人がぼそっと
「キリンが檻を飛び越えるなんてあるんですかね?」
 と聞いてきた。サファリエリア以外を探す必要があるのかといった意味だろう。僕は彼の顔も見ずに、
「ありえないよ、キリンにそんなジャンプ力はないし、檻との間にある側溝にはまってしまうだろうね」
 そう言って側溝を覗いていると、もう一人の男の子が、
「UFOですよ! キャトルミューティレーションですよ! ほらあそこ! 草が一部分だけ剥げてるじゃないですか! あそこで連れ去ったんですよ!」
 と興奮気味にサファリエリアの端を指差す。確かに一部分だけ不自然に丸く草が生えていない場所がある。
 僕はすこし怪訝そうな顔をして
「キャトルミューティレーションなら解剖されて死体が残ってるんだろ?」
 と聞き返すと「そうかぁ」と言って黙ってしまった。何を考えてるんだこのUFO少年は。
 1時間弱、園内を歩き回って事務棟に戻ってくると、飼育展示科のスタッフが集まって「ユーリ失踪対策会議」なるものを始めていた。ホワイトボードには黒い文字でこう書いてある。

 ユーリ失踪対策会議
 ーー失踪の可能性ーー
・隠れている(前にもあった)
・連れ出された(誰に、どうやって)
・ライオンに襲われた
・UFOに連れ去られた?(夕方サファリエリアで光を見た)

 UFO野郎がもうひとりいるらしい。うちの園の人事は大丈夫だろうか。挙げられている内容もだんだん非現実的になっていることから、もはや会議自体が混乱しているとしか思えない。3行目には赤いペンで二重線が引かれている。おそらく課長だ。課長は最近昇進するまではライオンの飼育員だった。自分の育てていたライオンがそんなことするわけが無いと怒鳴り散らしたに違いない。そういえば課長の席の周りだけ水滴でキラキラ光っているような気がする。
 結局は最初の1行目と2行目が候補のようだ。「どうやって」の部分に赤い丸が何重にも付けられている。そうだ、連れ去ったのならどうやって連れ去ることが出来るのかが問題だ。僕らが戻ってきたことに気づいた課長の顔がUFO少年の顔へ向くなり
「お前らどうだった!」
 と唾を飛ばしてくる。
「本当にいませんでした。飼育小屋にも”みかん”と”こむぎ”しかいません。あのーやっぱりUFOに……」
 UFO少年が言い終わるが早いか課長にホワイトボードのペンを投げつけられている。それパワハラだぞ。心の中で指摘をしながら僕は右のポケットに手を入れる。大きく膨らんだ僕の右ポケットには体温で暖かくなった丸いガラス瓶が入っている。ガラス瓶の中には小さな黄色い首の長い生き物……そう、ユーリが入っている。
 蓋はしてないから息は出来ているはず。たまにポケットをパタパタとやって空気を入れ替えていた。瓶の底には土も入れてあるから足も痛くなってないと思いたい。中にいるユーリは無事だろうか。僕は右手の人差し指で瓶のなかをゆっくり探る。指がなにかに当たった。その感触からユーリの首をなでてやる。すると、課長が僕の顔を覗き込むように
「本当にどこにいったかわからないのか?」
 と問い詰めてきた。あまりの声の低さに僕は身体がビクッとしてしまった。おいおいなんだこのオッサンなにかに感づいたのか?まさかそんなはずはない。
「はい、、」
 と僕は申し訳無さそうに答えた。僕を怪しんだところで僕がユーリを連れ出した事なんて分かるわけがないんだ。

 僕は学生の頃から機械いじりが大好きで、この園に就職が決まらなかったらエンジニアになろうとすら思っていた。休みの日は住んでいるワンルームで電子工作をするのが好きで、色々なものを作って楽しんでいた。ある時自作でレーザーライトを作ってみようと思い、作り方を漁っている時に、ある論文にぶつかった。英語で描かれた論文のタイトルには
「Investigate "the wavelength to shrink cells"」
(細胞を収縮する波長についての調査研究)と書かれていた。
 僕はすぐにその論文をダウンロードして読み始めた。英語は決して得意ではなかったが最近は自動翻訳のサイトがあって助かる。論文の文章をコピーしては翻訳サイトでペーストして読み進めた。一ヶ月ほどその論文と格闘した僕の手には懐中電灯を一回り大きくしたような装置があった。家の中にいた蜘蛛で試したところ、あっという間に目には見えないサイズになってしまった。
 すごいぞ! 本当に生き物を小さくした! 僕の中で何かが燃え上がる気がした。その瞬間から僕の頭の中ではユーリを小さくすることしか考えられなくなってしまった。
 この動物園に就職する時だって面接で「キリンの飼育員になりたいです、叶わないなら辞退します」と言い切った僕だ。いつかキリンを自分の家で飼いたいと願っていた。そのためには広大な庭と莫大なエサ代が必要だと半ば叶わぬ夢と思っていたが、これがあればこの狭いワンルームでも飼えるじゃないか。僕はすぐに計画を練りあげた。

 ユーリはサファリエリアでお客さんから目につかない敷地の端にある木が数本密集している場所でよく休んでいた。さっきUFO少年が草が生えていないと言って指差した辺りだ。常にライブカメラで監視されている生活ゆえにできるだけ人に見られない時間が欲しかったのかもしれない。
 僕は閉園後ユーリがそこに向かったのを見計らって近づき、家から持ってきた懐中電灯を向けてライトを点けた。実際には光は一瞬だけで後は赤外線レーザーを頼りに波長を浴びせるのだ。ユーリの体はみるみる小さくなり、全長5cmほどにまで小さくなった。もともとの全長が5m位だからおよそ100分の1のサイズに縮んだようだ。小さくはなったが細胞それぞれの機能はそのままで、かわいい黄色と茶色のアミメ模様、凛と立つ姿、まっすぐな首、長いまつげとつぶらな瞳はそのままだ。なんて素晴らしいんだ。同時に地面に生えていた草も小さくなって見えなくなってしまったが気にしなかった。僕はユーリを右ポッケに入れたガラス瓶に入れ、事務棟に戻り課長にユーリがいないと報告したのだ。

深夜0時を回り課長は疲れた顔で、ホワイトボードの1行目に二重線を書き込むと、「今日のところはみんな一度帰ろう、明日の朝、私から園に報告するよ。」
 そう言って事務棟を出てしまった。最後にこちらをちらっと向いたが僕は目を合わさなかった。
 やっと開放された。僕はポケットの瓶を大きく揺らさないように気をつけながら急いで家路についた。瓶はリュックの中に入れて上の方を少し開け空気が入るようにした。

 帰り道、明日からユーリとの生活が始まると思うと自然とにやけてしまう。スキップでもしたい気分だけど心だけ踊らせながらそれでも静かに歩くよう注意した。細胞を大きくする波長に成功したら、ちょっとだけ大きくして一緒に散歩してみたいけど、流石にそれは無理だろうな。などとフィギュアスケートの選手が試合後に優雅にリンクを滑るようにアパートの前まで行くと、そこに人影があった。暗くて顔が良く見えない。近づくにつれて身体が見えてきた。手に何か持っている…懐中電灯? さらに近づくとようやく顔が見えてきた。男だ、こちらを見ている……知ってる顔だ………なんでこんなところに。
 男はゆっくり僕の前に歩み寄ってきて。呻くような低い声で言った。
「君なんだろ?」
 課長がゆっくり暗い懐中電灯のスイッチに手をかけた。

 背中が重い。

#くま式 #失せものは夕凪に

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