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エッセイとイタリアからのおいしいもの

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日々の何気ない事柄、ふと道で思いついたことを書き綴っている、そのエッセイとともに繰り出されるイタリア料理のレシピ。色々と考えていると結局何かおいしいものにたどり着きます。Prim…
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#おうち時間を工夫で楽しく

重曹中毒

 以前に「シャドーワーキング」について書いたことがあったが、(もはや"夫が家事をあまり仕事と認識していない"という愚痴のような記事だったので、恥ずかしいあまりだが)あれから夫もだいぶ変わり、言われなくても「名もない家事」をやってくれるようになった。  きっかけは夫と、子供の保育園の送り迎えの分担に関して、一悶着あり、私が 「あなたは家事をやる能力が著しく低いから、私がやるしかない」 という言葉を吐いたときだったと認識している。それから彼は言われなくても、私が密かに山のよ

Casa dolce casa

 義母は普段はローマに住んでいるが、よく実家に帰りたがって1ヶ月の半分ずつ2都市間を行き来している。電話をすると良く実家にいることが多い。 「今日は屋根にあれがいたのよ、あの鳥。なんだったけあの名前は・・・思い出せないわ。とにかくいたのよ!あの大きいのが!」 「お義母さん、Gabbiano(かもめ)でしょ?」 まるで初めて見たかのように彼女はいつも言うのだが、おそらく今回もかもめだろう。日本で自分の家でかもめを見かけたら相当驚くが、港町ではそう驚くことではない。なのに義

Aprile

 もう5月も末だが、今日はAprileについて語りたい。4月、エイプリルはNanni Moretti(ナン二・モレッティ)監督の映画である。私はナン二・モレッティのわりと初期の映画が大好きで、DVDで何回も見る。彼の映画は「息子の部屋」や「ローマ法王の休日」などが有名かもしれないけれども、昔の方がなんとなくしがらみがなく自由に素直に作っている感じがする。映画にはどれも彼自身が出ていることが多く、それもヒッチコック的なカメオ出演ではなく、ウッディアレンのように主役を自ら演じるこ

結婚主義〜恋愛主義〜それから

 今日は結婚記念日。厳密にいうと入籍をした日で、結婚式を行ったのは12月。なので私たちの両親たち(日本もイタリアも)は5月に入籍したことなんか覚えていないだろうし、私たちもどちらが結婚記念日というべきかいつも決めかねてのらりくらり、たまに忘れている時もある(やはり式がないと実感がない。当人たちが実感がないので誰もそんな実感ない)、もうサラダ記念日とあまり変わらない。とにかくその記念日だった。  結婚なんてつい六年前ぐらいは考えていなかった。そういうパートナーもいなかったし(

La torta di limone (レモンのケーキ)

 昨日は子供の一歳半記念だったので、レモンのケーキを焼いた。最近What'sappを始めた母にその写真を送ったら 「いつもそういうもの作ってるけど旦那さん太らない?」 というメールが返ってきた。孫への祝福の言葉も無かったことに加え、私のケーキの出来栄えに関する反応がそれのみでやはりちょっと嫌な気持ちになった。  やはり、というのはこれは彼女のお決まりの反応パターンなのである。安直な言葉で言ってしまえば、彼女は少し変なのである。私は表現の使い方が違うことを重々承知で、これ

なんてDolce!(さつまいものガトーショコラ)

 マスクをする生活になって残念なことがある。子供に対して私の表情がわかりにくくなったことだ。それにせっかく話しかけても、多分聞き取りづらい、それに話している時の口の動きを見せてあげることができない。これは子供の言葉の発達に酷く悪影響なのではと、気になっている。  しかし、外でもマスクを致し方なく外す瞬間が最近2つある。子供にたんぽぽの種を吹いて見せる時と、シャボン玉を吹く時だ。今子供と遊ぶ手段が限られている中、毎日の日課になっている。  この家に住んで3−4年になるが、最

Farinaが肌に触れる(北イタリアのパスタ)

 今朝は子どもと一緒に屋上へ出て、ヒッチコックの裏窓で覗かれるダンサーみたいな格好でストレッチをしていたら、やっぱりこの気持ちいい陽射しがもったいないなと思いはじめて、かけ布団を洗うことにした。真っ白の羽毛布団を四つ折りにして、浴槽の中で足踏みして洗うのは、うどんの生地が素肌に触れる感覚を思い出すような、そういう心地よさがあった。  私は粉が大好き。食べ物として好きなのもあるが、やはり自分でこねる時の感触がたまらない。いつもまとめて10kgぐらい様々な種類を買いおきし、和洋

イタリアのレストランの吉野家化もしくは一蘭化への危惧

 昨年末イタリアでクリスマスを過ごしている時は思ってもいなかった。まさかこんな報道のされ方でこの国が世界から注目されるときが来るとは。私たちが1月6日に北京経由で帰国した時、武漢で良くわからない肺炎が流行っているというのは小耳に挟んでいた。イタリアではそんなニュースはまだ全然報道されていなかったと思う。しかし今やイタリアのコロナ感染は把握されているだけでも感染者数223,885件、死者数31,160人と日本とは比べ物にならないぐらいのパンデミックだ。総人口60.6百万人と日本

Mammaとの約束(乾燥パスタの茹でかた)

 このコロナ騒動下、80歳の義母はローマのアパートで一人きり家に篭っている。そのことを思うと毎日気の毒で仕方ない。しかしもちろん高齢なので外には出て欲しくない。けれどもあの人は無駄に散歩して、出会した犬という犬に「bello? o bella?」と話しかけて、(『可愛い』を男性名名詞と女性名詞両方で聞いて、暗にオスかメスか尋ねている。AnconaのVittoria通りなんて犬の散歩だらけで、1mごとに立ち止まるので全然目的地につかない)何かにかこつけてすぐに銀行に行って、美容

カプチーノの間違い

最近の若い世代は私たちの世代よりもずっとずっと多くの文章に触れている。何百倍もの”文字”に多く触れているとも言うべきか。それはもちろんSNS普及のためである。一方で触れる文章の長さは短い。つまり携帯の小さい画面で情報処理できる程度の文字量に慣れているということだ。現に例えば、このnoteのいろんな方の文章を見ていると、年代が若めの人の方が文章が短く、年配の方々は長い傾向にあるとみえる。よって若い世代は長い文章の読解力は平均的に低いのではないか、と言う意見もある。だが私はこれも