コロナ時代に変わる幸福感、「成功」をあきらめれば幸せに♪
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『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者として
知られる岸見一郎先生に、「コロナ禍をどう受け止めるか?」をお聞きするインタビュー。
「変わろうとしない人たちとの付き合い方」について
伺ったのに続き、岸見先生と共に「幸福」というもの
について考え直してみたいと思います。
我々は仕事のために生きているのではない
――前回はコロナ禍においても「変わろうとしない人」
との付き合い方についてお話を伺いました。
それが職場の上司などの場合、声をあげていくことが
大事だけれど、それでも変わらない場合は転職する
ぐらいの気迫が必要だと……。
岸見一郎先生(以下岸見):はい、そこで今回は
「そもそも仕事とは何か」ということを考えて
みたいと思います。当たり前のことを言いますが、
我々は働くために生きているわけではありません。
たとえば私は心筋梗塞を経験しているため、
毎日心臓の薬を飲んでいます。それを飲まないと
必ず悪くなるので飲み続けているのですが、
だからといって薬を飲むために生きているわけではありません。
仕事も一緒で、仕事をするために生きていると
いうのは間違いだと思うのです。ですから
「こんなに一生懸命仕事をしているのにちっとも
幸福ではない」、あるいは「すごく辛い」と
思っている人がいるとすれば、
それは仕事の種類、あるいは仕事の仕方に改善の
余地があると考えたほうがいいでしょう。
今回のコロナをきっかけに、そのことがより鮮明に
なってきた人は多いのではないでしょうか。
今こそ、本当に大切なことは何かを考えないと
いけないと私は思っています。
――たしかに、生きるために働いているのに、
いつの間にか働くことのほうが優先してしまっている
人は多いかもしれません。
岸見:あるテレビ番組で、70代の男性が
インタビューに答えているところを見たのです。
その方は最近妻を亡くされたばかりでした。
そして「仕事なんかどうでもよかったんだ」と言って
おられるのを聞いて、本当にその通りだと思ったのです。
その方は生涯身を粉にして働き続けてこられたのでしょうが、
「本当に大事なことは仕事ではなくて妻と一緒の時間を過ごすことだった」と、
妻を亡くしてからようやく気がつかれた。
そのようなことを伝えていた番組だったのですが、
今はまさに、そのように本当に大事なものは何か、
自分が生きていくうえで重要なことは何か、
それを見直す機会を得ていると思うのです。
いや、むしろこの機会をそう生かさなければならない
と思っています。
数える人生をやめるべき時にきている
――ただコロナが終息するのを祈って待っては
いけないということですね。
岸見:最近話題になっている本に、
パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代のぼくら』という一冊があるのですが、
その中で彼はこのように言っています。
「こんな大きな苦しみが無為に過ぎ去ることを許してはいけない」と。
我々はこれだけのことを経験した以上、これを無意味に
過ぎ去らせてはいけない。本当にその通りだと思いました。
――これまでの考え方や価値観を変えていかなければ
ならない、ということですね。
岸見:彼はこうも言っています。
「感染の流行中は誰もが色々なものを数えてばかりいる」と。
たとえば新聞を読んだりニュースを見ていると、
「今日の感染者数は何人」などと出ていますね。
緊急事態宣言が敷かれていた頃は、さらに
「解除されるまで何日あるのだろう」とか
「病床数を何床確保した」とか、常に数えてばかりいたわけです。
ジョルダーノは旧約聖書の「詩篇」を引きながら、
聖書はそれとは別の数を数えるように勧めて
いるのではないかといっているのですが、
数えることすらしない人生があってもいいのではないか、
と私は考えています。
――おっしゃる通り、無意識でしたが数えてばかりですね。
コロナに限らず「もう何歳だ」とか、
「貯金がいくらあるか」とか……。
岸見:成功を求めて生きているからです。哲学者の
三木清は成功は「量的」なものだといっています。
成功したい人は常に数えるのですよ。何歳までにこれをして、
目標年収はこれぐらいで……と。
ですが今や、そのように数えることにはもう意味がありません。 なぜなら明日もどうなるか分からないわけですから。
本当に、1週間後はどうなっているのか誰も分からないくらい、大変なことになっています。
なのに人生設計を立てるとか、ありえないでしょう?
ですから明日を恃まずに、今日のことだけ考えて
いかなければならない。
今日生きることだけを考えるのであれば、
数える必要はありませんから。
1週間後に何をする、1年後にこうなっている……、
それはすべて成功を前提とした話なのです。
――はい。
岸見:三木清は、「成功は過程である」という言い方をしています。
何かの目標を達成しなければ成功したとは言えません。
有名な学校に入ること、有名企業に就職すること、結婚すること……。
他方、三木は「幸福は過程ではなく存在である」とも言っているのです。つまり、我々は何も達成しなくても幸福である、
明日を待たなくても今日この瞬間に我々は
幸福であることができる、ということ。
そのような価値観を身につけないと、我々は
このコロナ禍を生きることはできないと思います。
自分にとって本当に大切なものは何か?――今、私たちは何とか元通りになることを願っていますが、そうではなく、もう考え方を変えていかなければならないんですね。
岸見:おそらくコロナウイルスは当分終息しないと思いますが、万が一終息したとしても元の生活に戻ってはいけないのです。
――元に戻ってしまうとどうなるのですか?
岸見:また以前のように、生産性に価値を置く世の中になってしまいます。「何ができるか?」ということに価値を見出す世の中に……。
でもそういう価値観は、間違っているとまでは言いませんが、
我々に大変な生き方を強いるものだということに気づかなければいけません。
これまで皆、一生懸命競争をして生きてきたわけですよね?
ですがお金がどれほどあったところで、感染するときはします。
有名な芸能人であっても、例外ではありませんでした。
お金も地位も名誉も関係なく、死に直面することが現実に
あると分かった以上、成功を目指す生き方はやめるべきです。
先ほどお話した70代の男性のように、「本当は仕事なんかどうでもよかったんだ」と言えるよう、日々のささやかな喜びを大事にして生きていくことを考えていくしかないのです。
――今私たちは、本当の幸福というものに気づく機会を得ているとも言えるのですね。
岸見:だからこそ本当にしたいと思っている仕事なのかを考え、大切な友達とだけ付き合う。そういったことをしていってもいいと思います。
話は逸れるのですが、私は少し前に引越しをしました。
孫がいる家から車で5分ぐらいのところに。
毎日孫に会えるのであれば、以前より仕事上不便な
場所になってもここに住もう、と思いまして。
今も変わらず仕事は続けていますが、違うのは
孫が毎日遊びに来るようになったこと。
それが私にとっての幸せなのです。そういった
ささやかなことを、「これが幸せだ」ともっと
言える世の中にしないといけないと思います。
――孫がどんなに賢いかとか成功しているか、
とかそういうことでなく、会えることが嬉しい
というのは根本的なことですね。
そういえば東日本大震災の直後は、
「本当に大事なことは何か」と皆が考えました。
でもすぐに忘れてしまって……。
岸見:家族の顔を見られるだけで嬉しい……。
これまでは、そういうことを知らない人たちが多くいたわけです。
仕事人間だと、知る機会がなかった。
たとえば会社から単身赴任を命じられても、そういうものだ
と思って素直に受け入れていましたが、そんなのは決して
当たり前のことではないですから。
家族がいながら離れて生きていくのは、
決して当たり前ではない。そのことに我々は今、
気づくべきだと思うのです。
となると我々は、大きな決断を必要としますよね。
幸福をとるか、成功をとるか。 でも成功をとったところで、
もはやあまり意味がないのです。なぜならどれだけ
生きられるかも分からない時代ですから。
だからもう成功はきっぱり諦めて、今日という日を
今日のためだけに生きていく。
自分次第でそう生きていくこともできるのです。
そうすると本当にささやかなことが喜びに感じられる、
私はそのことを強く言いたいと思っています。
岸見一郎
1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『哲学人生問答17歳の特別教室』『人生は苦である、でも死んではいけない』『今ここを生きる勇気』など多数。公式ツイッター:@kishimi 公式インスタグラム:@kishimi
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