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まだ無くならない女性差別と人種差別

私は、40年くらい前、8年ほど会社員をしていました。

一般事務、営業事務、秘書など。
会社をいくつか変えたのは、
「ここで学ぶことは、だいたい学んだから
次へ」。(生意気♪)

自分の中では、ステップアップのつもり。
時代は、そこまで進化していないのに、、、。
(最近note 情報から私がhss型hspだとわかり過去を納得)

男尊女卑はまだ無くなってはいない

当時は社会的に 転職はマイナスイメージ、そして
女性だから当然のように「お茶当番」なるものがあった。

当番は、1日に数回フロア全員へお茶を配り、来客にも。

飲み会があると女性はおしゃくをし、2次会のスナック
(当時カラオケはまだ無い)では、上司とデュエット。
嫌でしたねー。

そんなことまでしていても、女性のお給料は
男性より少ないのです。

そして現在も、『男尊女卑』が続いていることに対して
「当たり前な根本的なことを変えるのに、
どれだけの年月を費やすのだろう?」
とあきれてしまう・・・。

アメリカの黒人差別も、未だに続いている。
警官がなんの罪もない黒人を銃で殺害。

最初に、アフリカから奴隷として連れてきたのは約400年前。

以下、引用させて頂きます。

大切ではなかった「黒人の命」


最初の奴隷がアフリカ大陸やカリブ海諸島から、
後にアメリカと呼ばれることなる土地へ拉致されて
きたのは400年以上も前のことであり、その時に
「黒人の命は大切」なものではなかった。

奴隷は動物と同じであり、大農園での労働にどの程度
使えるかによって値付けされ、売買されていたのだ。
奴隷が死んでも、経済的な損失でしかなく、
「人間の命」の問題ではなかった。         

南北戦争(1861-1865)が終わった時、奴隷制は廃止された。
法的にはそうだ。しかし、黒人の命や生活を守る措置は
一切取られなかった。

黒人には身一つしかなく、子供に残せる財産など何ひとつ
なかったのだ。何をするにも、まず借金から始まった。
負債は肉体労働によって返済せざるを得ず、南部で他人の
土地を耕す小作人か、工場の低賃金労働者か、メイドか
コックになるしかなかった。

そして1896年、最高裁は列車、学校など社会のあらゆる
領域で、白人と黒人を分離することを合法とする判決を下した。
しかし実際には「分離すれども平等」に平等はなく、分離と
いう名の差別だけが助長された。

また南部諸州には、ミンストレル・ショーの登場人物の
名前をつけられたジム・クロウ法と呼ばれた様々な法があり、
そこでは人種差別(有色人種を含む)が大前提となっていた。

州法や地方自治体の法は、特に南部に限らずとも、黒人を
二流市民(準市民)として扱っており、連邦法では
黒人にも投票権は与えられていたが、州法では投票のための
有権者登録ができないようにされていた。ここでも
「黒人の生活」など問題にはされていなかった。

常に黒人は白人以下だった


さらにジム・クロウ法は明文化されていない社会道徳観
をも支配していた。黒人は白人に対して丁寧に「ミスター」
「ミセス」をつけて話さねばならず、会話をするときには
必ず帽子を取ることになっていた。

日常におけるこれらの小さな行為は「慣習」となり、
「見えない規則」となって積み重なり、日常生活の中で
常に黒人は白人以下であり、劣った存在だという意識を
黒人の内面に刻み続けたのである。

またKKK(クー・クラックス・クラン)のような超法規的
な団体や、いくつもの白人至上主義の「自衛団」は、
選挙の有権者登録のために立ち上がったり、農地を広げようと
土地を購入したり、白人と同等の扱いを求める黒人に対しては
然のように暴力を行使した。

成功した黒人起業家の家や会社が、嫉妬から白人により
焼き討ちにされることはよくあることだった。
しかしそれだけではない。

1890年代から1920年代の間に約3000人の黒人がリンチにあった。
「リンチ」は日本語と英語では大きく意味が異なる。

英語の「リンチ」は単なる私的制裁ではなく、ロープを首に
かけて木に吊るし、殺害することであり、南部では
見世物でもあった。

リンチを見るためのツアーが組まれることさえあった。
黒人が吊るされ、切断され、火をつけて殺されるのを
見物するために多くの白人グループが集まった。

背後で黒人の少年が吊るされているのを楽しそうに眺める
カップルが写った絵葉書が広く大衆に売られたりしていたのだ。
「黒人の命」など大切にはされていなかった。

殺された黒人少年


このような流れに変化の兆しが見え始めたのが1954年、
最高裁が「分離すれども平等」とした1896年の判決を
違憲とした時で、これはNAACP(全米黒人向上協会)の
地道な努力の結果であった。

この最高裁の判決は諸法に変化を与えた。
しかし実行されなければ、その判決も単に紙に書かれた
文言に過ぎない。ここから公民権運動は本格化する。

1955年の夏、シカゴ出身の14歳の黒人少年エメット・
ティルが全米一人種差別の激しいミシシッピ州の親戚を訪ねた。
叔父の住む村の小さな店に入った彼は、経営者の白人女性に
親しげに話しかけるというミスを犯してしまった。

ジム・クロウ法下での社会規範を侵害したという噂が女性の
夫の耳に入ると、彼は従弟とともに真夜中にティル少年を
親類の家から拉致した。

数日後、ティルの遺体は地元を流れる川で発見された。
遺体は損傷が激しく身元確認が困難なほどだった。

母親のメイミー・ティルは息子の遺体を葬儀のために
シカゴまで連れ戻すと強く主張し、葬儀では棺桶のふたを
開けたままにして、息子がいかに残忍な殺され方をしたのか
はっきり見えるように求めた。

写真撮影も許可していたので、南部のリンチの恐ろしさは
アメリカ中に伝わった。

容疑者として、ティルを拉致した二人の白人男性が
逮捕された。裁判では、ティルの大叔父が二人を
指さし殺人犯だと証言したが、白人だけで構成された
陪審員は全員一致で無罪とし、二人はその場で釈放。

証言をした大叔父は消される可能性があったので、
すぐに北部に逃げなければならなかった。

後に、二人の被告は自分たちがいかに少年を殺害したかの
話を『ルック』誌に高額で売ったが、その後も彼らが起訴
されることはなかった。「黒人の命」など
まったく大切にはされていなかった。

NAACPのモンゴメリー支部で、黒人の有権者登録などで
活動をしていたローザ・パークスは、1955年12月1日、
モンゴメリーの市バスで白人に席を譲ることを拒否した
ことで逮捕された。彼女のこの行動がモンゴメリーでの
バスボイコット運動の発火点となった。

ティル少年殺害事件が公民権運動の感情的な始まりと
するなら、ローザ・パークスの行動は組織的な公民権運動
の始まりであり、キング牧師のような指導者が次々と現れる
下地となった。         

世界で広がる「強者の論理」


全米で展開し始めた公民権運動が目指したのは、社会の
すべての領域での人種に基づく差別を撤廃することだった。
その運動は1963年8月28日、20万人以上が参加した
ワシントン大行進で頂点に達した。

リンカーン記念堂の前に集まった大群衆を前にした
キング牧師の「私には夢がある」という演説は聞く者の
魂を揺さぶる歴史的なものとなった。

1964年の公民権法を始め、いくつもの重要な法案が成立
したのは公民権運動の大きな成果である。

キング牧師は1964年のノーベル平和賞を受賞する。
しかし1968年、テネシー州メンフィスでそのキング牧師が
白人男性により暗殺された。ここでも、「黒人の命」も、
その活動も、その功績も、一瞬にして潰されたのだ。

公民権法以後、積極的差別是正措置(Affirmative Action)
と言われる政策が学校、職場、公共の仕事において黒人に
門戸を開き、一定の進歩をもたらしたのは確かだ。

その結果、多くの黒人市長、議員が誕生し、大統領まで現れた。
黒人のビジネスマンもいれば、メディアで活躍する黒人もいる。
スポーツ界でも選手ばかりでなく、黒人のコーチや
マネージャーもたくさんいる。

黒人もこのように白人と同等の地位を得られたのだから、
もはやこのような措置は必要ないと考える人たちも
出てきている。今や「ポスト人種差別」の時代であり、
「私は人種差別主義者ではない」と、彼らは言う。

しかしこのような見方には、黒人の命や生活や人生が
価値あるものとみなされず、つぶされ、否定され続け
てきている負の歴史の堆積に対する認識が決定的に欠け
ている。法律だけでは解決しない領域があるのだ。

黒人のLivesを暴力で、あるいは日常の慣習の中で抑圧し
続けてきた人々の中には、そうすることにより自分の立場を
周囲に明確に示し、またそうすることによって白人の
同族意識を共有、強化したいという欲求があるのではないかと思える。

「自分たち」の敵を作り出し、それを攻撃することで
自分の正義を証明しようとする態度だ。
これは強者の論理であり、その典型がトランプ大統領だろう。
そしてここに見られるのとほとんど同じ問題が日本にもある。

このように考えるとBlack Lives Matterが提起している
ことが俄然、身近な問題として見えてくる。しかし問題を
広げてしまう前に、私たちはアメリカの路上の黒人の現実に
を向けたい。         

文明国家であるために


アメリカでは「法による平等な保護」は憲法修正条項により
保障されている。しかし、白人と黒人の間には明らかな差別がある。

街頭で何もしていないのに、職務質問、身体検査をされ、
さらにIDの提示まで求められる白人はまずいない。

車を運転していて、たまたまテールランプが切れていたら、
白人の場合、注意くらいで済むだろうが、黒人であれば、
車から降りるように「命令」され、車の中が「捜索」され、
更に「身体検査」をされるだろう。同じ微罪を犯したと
しても、黒人は白人よりはるかに刑期が長くなる。 

ドキュメンタリー『13th――憲法修正第13条』では、
刑務所が一つのビジネス、産軍複合体ならぬ産獄複合体と
化していることを告発している。

刑務所が利益を上げるためには、常に刑務所を犯罪者で
満たしておく必要があり、前科二犯の者は、たとえ微罪
でも3度目は終身刑になるという「三振法」が有効に活用
されているわけである。

ターゲットはもちろん黒人だ。
ある弁護士は、アメリカの黒人男性の三人に一人は刑務所に
入った経験があると語っているが、受刑者に労働を強制し、
その利益を搾取するという意味では現代の奴隷制と
言ってもいいだろう。

「法による平等な保護」などまったく保障されていない
のが現実である。Black Lives Matter――
このスローガンの背後には、踏みにじられ消された
数知れぬ黒人の命がある。

抑圧され続けている黒人の生活がある。
そして否定され続けている黒人の人生がある。

このスローガンの根底にあるのは、アメリカの黒人の歴史
が無視され、基本的人権を持った一個の人間として扱われて
こなかったこと、そして今も扱われていない現実への悲嘆と怒りだ。

2020年現在、世界はCOVID-19の猛威にさらされ、
これまでの制度や価値観の変更を否応なく迫られている。

そんな中で、中国の作家、方方(Fang Fang)は日記に
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は……ただ
ひとつしかない、それは弱者に接する態度である」と書いている。

アメリカから見たら地球の裏側の国のまったく異なった
問題から紡ぎ出された言葉に、Black Lives Matterの問題を
解決する糸口が示されている。

COVID-19以後、生き残れるのは多分、これまでの
価値観と絶縁した新しい文明国家だろう。
アメリカは、そして日本は、新しい文明国家として
生き残れるのだろうか?

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アメリカの人種差別問題は、あまりにも根が深い。
私の好きなマイケル・ジャクソンも、スーパースターなのに
ずっと人種差別をされてきた。

そして、女性軽視問題も・・・。

現代は、あらゆる情報が割とたやすく手に入る。
が、表面の情報だけをうのみにするのはキケンだ。
その裏にある「本当の、真の」情報にも
意識を向けていきたいと思う。


引用元:本「黒人差別とアメリカ公民権運動」

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