菜の花畑

永続性を生むカケラ

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな

山村暮鳥 『風景 純銀もざいく』
 
 
 
村山暮鳥という詩人のことは、高校生で教えてもらうまで知らなかった。

現代国語の先生が少しユニークな人で、今でもその先生のことを
2,3年に1回ぐらいは思い出す。
 
飄々とした感じで、
しかし時折、
はっとするような気づきを与えてくれた。
 
その先生が、
「単純なんだけれど、だからこそ味わい深くて、
 心の中でその情景が忘れられなく成る
 そんな詩なんだ」
といって朗読してくれた。
 
別にうまい朗読というわけでもなく、伝えようとする意思がこもっていたわけでもなく、いつもそうであるかのように、
ふだんからそうしているかのように、
自分の中で感じているままに、素朴で伸びやかに朗読してくれた。
 
がさつな男子校の生徒たちも、なんだか静に聞き入っていた。
 
その菜の花畑は、何処までも、
そして、いつまでも広がり続けていて、
今でも、広がっていて、
今年の新しい春にまで、つながって広がり続けている。
 
この永遠性、その無限性は、
小さな瑕疵によって押し進められているように思う。
 
聞こえるかどうかの遠くの麦笛
完全性にアダ成す月のひとヒラ
 
それらを埋め尽くし飲み込もうと
何十年も人知れず広がり続けているのだ
 
その先生には、卒業後20年ほど経って、
ばったりと地下鉄で出会った。
むこうは覚えているはずもないが、つい話しかけてしまった。
あの時と同じような話口調だった。
 
そんなかすかな、しかし印象に残る出来事が有ったから
だから、
その先生のことも、また、なお一層この詩のことも、
ずっと、ずっと、忘れられなく成ったのだろう。 

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