今日は珍しく目に見える障害の話
前にも書いたが、私の彼氏は車いすユーザー。
一緒に出掛けていると大小様々な「え?」に出会う。
そして、それらは全て「障害者本人の責任ではない」ところにある。
おはようございます、ぎんです。
飲食店の入り口に、私の力ではどうにもならないレベルの高い段差があって、入店できなかったとか
一緒に映画を見に行ったのに車いすスペースは決まった場所にしかないので、離れ離れで見ざるを得なかったとか
電車に乗るにも、乗る度に駅員さんにスロープを依頼→降りる駅でも駅員の手配が必要なので
「駅員の手が空くまで20~30分くらいかかるのでその間待ってて下さい」と言われるとか(これがめんどくさいので彼は基本車で移動しているらしい)
エレベーター待ってると後ろで舌打ちされるとか(狭いエレベーターだと車いすだけでスペースいっぱいになるため)
まー、世の中はこんなにも進んでいるように見えて不便である。
こんなことを言うと
「電車使えるだけありがたいじゃん」
「映画見られてるんだからいいじゃん」
「エレベーター優先的に使えてるんだからワガママ言わないでよ」
と言われがちです。(本当によく言われる)
車いすユーザーじゃないあなた、そこのあなた。
「乗車手続きに30分かかるんで待ってて下さい」と言われ、3分おきくらいに電車が目の前を通り過ぎていったら悲しくなりませんか?
他の例も同じくです。
どの事例も「設備はお金かかるから仕方ない」「みんな忙しいんだから仕方ない」と思われがちです。
でも。
問題は設備などのハード面にあるのでしょうか?
そして人件費など、お金の面にあるのでしょうか?
本当に?
私は違うと思います。
「車いすなのに○○できるだけありがたいと思いなさい」
↑全てはこの「考え方」にあると思います。
本当によく言われますコレ。
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私も彼も、障害者ビギナーだった時は「命が助かっただけでありがたい。」「仕事ができるだけありがたい。」と思ってました。
確かにビギナーのうちはそれでも良いのかも知れません。
しかし。
社会復帰がゴールなのでしょうか。
働けてお金がもらえれば、それ以上は何も望まないのが正解なのでしょうか。
絶対違う!
だって健常者は就職がゴールじゃないでしょ?
だったら障害者も社会復帰がゴールではない!
同じ人間なんだから!
就職して、社会に貢献して、自分の出来ることをどんどん増やして、自分のフィールドを広げて…究極は
可能な限り人類に大きく貢献するのがゴールなんです!
ぜぇぜぇ(大声出し過ぎた笑)
確かに設備がなきゃ元も子もありませんよ。
でも
「設備作りました。はい、バリアフリー」ではないんです。
「多少不便があってもこれで解消、ハイめでたしめでたし」ではないんです。
「そもそも同じ人類」と言う考えが根本にないと、本当のバリアフリーは実現しません。
同じ人類なのに、どんどん「障害者」「LGBT」など
…時代を遡れば「人種」「国籍」「性別」、
「身分」「お家柄」と括りだして
括りだした側と括り出された側で散々モメて
「マズい、このままだと人類終わる」と気付いての「現代」だったんじゃないんですか?
話が壮大になりかけましたが(笑)
本当に必要なのはお金や設備よりも
教育
なのかもしれません。
「多様性」「マイノリティー」そんな難しい言葉じゃなくて
「みんな人類」。これで良くありません?
「障害者だろうがそうでなかろうが、同じ人間だから同じように便利さを求める」
「障害者だろうがそうでなかろうが、同じ人間だから成長や幸せを求める」
当たり前のようで見過ごされがちなことです。
インターナショナル(国際的な)からグローバル(地球規模の)に推移していったように
「1つ1つのマイノリティーを多様性という言葉で考える」ことから、「みんな人類」に推移していって欲しいです。
だって、どんな状態で生まれようが、育つ過程でどんな状況に陥ろうが
人間はみんな幸せになりたいでしょ?
↓後日、続編書いたので良ければこちらもドウゾ。
もしサポート頂けたら、行く離島を増やします!…嘘です(笑)車いすユーザーの婚約者との結婚資金に使わせていただきます😄