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ぼくらが『小説が好きな理由』をたった3秒で説明するなら。

 あなたは小説が好きですか?

 ぼくは好きです。とても好きです。誰になんと言われようと好きです。小説から「ごめんなさい。友達にもどりましょう」と別れを切り出されても、「待ってくれ。何がいけなかった。嫌なところがあったなら直すし、もう他の女の子とは遊ばない。だからもう一度チャンスをください」とオシャレなカフェのテラス席で泣きながら土下座するくらいには好きです。

 しかし、そうしてテラスのウッドデッキに額をこすりつけているときに「はて? どうして俺はこんなに小説に魅了されているんだ?」という疑問が浮かびました。

 だってこの世界には小説だけじゃなく、マンガやアニメ、それに映画や最近だとYouTubeだって刺激的なファッションと腰つきでぼくを誘惑してきます。そのどれもがぼくに非日常を見せてくれる、現実とは別にある物語を伝えてくれるコンテンツです。

 ご存知のとおり、小説はその中でも「近寄りがたい」と多くの人から敬遠されています。なのにどうしてぼくは「小説が好き」なのか。

 あ、ここまで読むことができるあなたもきっと「小説が好き」な方でしょう。

 どうしてぼくらは、わざわざ文字だらけで、絵もない、図もない、声もない、色もない、動きもないアレを、ベッドの上で腰を痛めながら、時に眠気を押してまで読んでいるのでしょうか。なぜ小説という一見苦痛な「伝え方」を好んで選択しているのでしょうか。

 今回は「どうしてあなたは小説が好きなの?」という問いに対して、ぼくがいつも返している答えをみなさんに共有したいと思います。

 きっと、答えは無数にあるのでしょう。星の数ほど、とまでは言いませんが、食べ終えた味噌ラーメンのスープから出てくるひき肉の数くらいにはありそうです。

 だけど今回、ぼくの答えを聞いて「当たってる!」「共感できる!」という方がいらっしゃるのなら、ぜひスキ!やコメントなどのアクションで教えてください。賛同してくださる方の数だけ、この推測の信憑性が高まります。

 逆に「いや、違うな」「私はこうなんです!」という意見もぜひコメントで教えて下さい。長くなっても構いません。たくさんの方の考えを聞きたいです。

「特になにも思わなかったな」という人は、とりあえずフォローしください。そうすれば、あなたは長年悩まされていた腰痛が治り、彼女ができてお金持ちになれます。

 まずその答え、結論から言ってしまいましょう。3秒で終わります。

 A.「情報が少ない分、自分で作った世界に入っていけるから」

 これです。ぼくはこれに尽きるかなと。これこそが小説の最大の魅力だと考えています。

 この時点で、「あー! なるほどなるほど」「はいはい。ぼくもそう思ってますよ」という方はここで終わりです。スキ! をつけて退出してもらえば、あなたの貴重な時間をムダにせずに済みます。

「ん? なに言ってんだ」という方は、もう少しぼくにお付き合いください。詳しく説明していきます。

目次

小説のデメリットは最大のメリット。
イメージはどこからやってくるのか?
自分専用のフィギュアを並べる。
小説は、時をこえて姿を変える。
ぼくらが小説を好きな理由。

小説のデメリットは最大のメリット。

 小説がマンガやアニメなどに比べて、敬遠されがちな理由はなんでしょう? 簡単ですね。『情報量の乏しさ』です。

 これは描写力が足りないとかそういった意味ではなく、マンガやアニメが「イラスト」や「音声」など、その世界の情報を読者に与えてくれているのに対して、小説には「文字」しかない。という意味です。

 小説の場合、その「イラスト」や「音声」といった情報は読者の想像力で補っています。

・その女の子は、丸メガネをかけて黒髪のロングヘアーを揺らしていた。

という文章を読んだとき、ただそれを文字の羅列とだけとらえるのは逆に難しいはずです。

 きっと頭の中で丸メガネの形を思い浮かべ、黒髪がサラサラしていて、こんな顔なんじゃないだろうか? そして、その容姿から出てくる声はきっとこんな感じだろう。ここまで無意識レベルで瞬間的に想像しているはずです。

 小説を読むというのはそういう作業の連続です

 つまり、『めっちゃくちゃ疲れる』わけです。

 マンガやアニメであれば、コンテンツ側から提供してくれている情報を、小説の場合は読者が想像力を使って形つくっています。

 そりゃあ大変な作業です。「無理だー。読めない」という人がいるのも分かります。

 しかし、そんなデメリットこそが、小説の最大のメリットだと思うわけですよ。

イメージはどこからやってくるのか?

 じゃあ、その不足している情報を補うとき、思い浮かべる映像や音声はどこからやってきていると思いますか?

 はい。「……えっ? 何が? 自分の中からに決まってるやん???」と思った方がたくさんいますよね。

 もう少し踏み込みましょう。自分の中とはつまりなんでしょうか。

 ……そうです。それは、自分の知識や経験ですね。

 極端な例えをすれば、江戸時代の人が「テレビ」だとか「スマートフォン」といった単語を読んだとしても、何も思い浮かばないことでしょう。見たことも聞いたこともないのですから。

 逆に慣れ親しんでいるぼくたちからすれば、特に補足がなくてもその形、重量感、操作音まで想像するのは難しくありません。

 当たり前すぎることを言っていますが、ここがとても重要なポイントなのです。

 では、ここでテスト。「天真爛漫でショートカットの可愛い女の子」をあなたとぼくで各々想像しましょう。




 ……思い浮かべましたか?

 では、聞きます。あなたが思い浮かべた女の子は、ぼくの想像した女の子と完全に一致するでしょうか?

 ……答えは「NO」ですよね。

 それはなぜか?

 そうです。

 あなたとぼくでは「天真爛漫でショートカットの可愛い女の子」に関係する知識や経験が違うからです。

 あなたがぼくと全く同じ人生を歩んできていない以上、一致することはほぼありえません。

 もし今、あなたの気になっている女性がまさに「天真爛漫でショートカットの可愛い女の子」なのだとしたら、イメージはその女性にかなり引っ張られるだろうし、友達にいるとか、職場にいるとか、大好きなアイドルがそうだとか、それを形作る要因はたくさんあります。

 じゃあ、そのようにして作られたイメージは、あなたにとってどんなイメージと言えるでしょうか?

 ……分かりますか?

 それは他の誰でもない、『あなたにとって最もしっくりくるイメージ』です。

自分専用のフィギュアを並べる。

 先ほども言いましたが、小説を読むという行為は「文字」という情報を手に入れてイメージを頭の中で想像する。その「絵」や「音」を脳を使って補填する作業です。

 そのとき生成されるイメージは『あなたにとって最もしっくりくるイメージ』です。

 あなたが今まで見てきたこと、聞いてきたこと、感じてきたことから生み出された、あなた専用のフィギュアです。

 小説が映画化されたり、ドラマ化されたりしたときに「俳優がイメージと違う」というバッシングを受けることがありますが、それは仕方がないですよ。だってみんなそれぞれ違うフィギュアで物語を作っていたんですから。

 小説という「不確かな存在」を補うために生まれる、あなた専用の主人公、あなた専用のヒロイン、あなたの知っている夜、あなたが知っている匂い、あなたが知っている感情、あなたが知っている景色。

 それらがひとつなぎになって、小説という文章の向こう側には『あなたにとって最もしっくりくる世界』が見えてきます。

 マンガやアニメのように「他人がつくった世界」ではなく、あなたがつくった自分専用の世界の中に浸っていくのです。

 それが小説を読む、ということです。

小説は、時をこえて姿を変える。

 小説は、情報を受け取るだけでなく、読者にも創造させることで、読者それぞれにとって居心地のいい世界が広がる伝え方です。ここまで理解してもらえたでしょうか?

 読者は、文字という不完全な情報を与えられ、自分の知識や経験によって補填し、その世界のカタチを作り上げていきます。

 つまりこれは、読み手も作り手の一端を担っていると言えるかもしれません。

 分かりやすく言い換えるなら、小説の著者はあえて最後まで世界を作りきらずに、最終工程で読者が自分好みに色を塗っている。ということになります。

 作り手だけで完成させない。世界を決めつけない。そうすることで何が起こるか。

 

 またここで、あなたに考えてほしいことがあります。

 歴史の授業でも習いました名作『源氏物語』について。お話の主人公は、帝の子供であり、光輝くイケメン男「光源氏」です。

 絶世のイケメンが、数々の女性に近づくことによって展開していく色恋の物語。

 さてさて、紫式部が源氏物語を書いたのは平安時代。そして我々が生きているのはそれから約千年後の21世紀。

 平安時代の人たちが想像する「絶世のイケメン」と令和の若者が想像する「絶世のイケメン」の顔立ち。果たして同じでしょうか?

 ……いやぁ、違いますよね。絶対違う。

 もっと言えば昭和の人と令和の人でも違うのではないでしょうか。

 もし、紫式部の側近にカメラマンや照明さんがそろっていて「姉さん、これ映画化しませんか?」と持ちかけ、絵巻ではなく映像として残されていたら、千年後に生きる我々はその俳優陣の顔立ちに違和感を感じていたかもしれません。

「ちょまって、ヒカルゲンジまじウケるんだけどw。眉毛どこに描いてんだよwww」と令和のギャルにバカにされていたかもしれません。

 その点、文章というカタチならどうでしょうか?読み手によって姿を変えるので、令和のギャルだろうと平成のアムラーだろうと時代にあったイケメンを想像して物語を楽しむことができます。

 小説というカタチで伝えられた物語は、千年たっても違和感なくあなたのフィギュアで構成されます。

 小説は不完全であるため、時代を超えても、ぼくらの身近な物語に変化するのです。

ぼくらが小説を好きな理由。

 ここまで読んでくれたあなたは、絶対に小説が好きですよね。でも「今まで理由なんて考えたこともなかった」という人はいませんか? ぜひ、今回をきっかけに考えてみてはどうでしょう。自分の「好き」を理解しようとする時間は決して無駄な時間ではありません。

 ぼくは小説を読んでいるときの、あの「没入感」が好きです。あ、今さらですが、ぼくはマンガやアニメも好きですよ。ただ、小説とは楽しみ方が違うのです。

 マンガやアニメは、他人がつくったワクワクする世界を「外」から見ている感じ。対して小説は、世界の「内」に入り込んでいる感覚です。だってその世界の部品は、イラストレーターや声優から無条件に与えられたものではなく、ぼくから生まれた、ぼくのためのフィギュアを並べているから。とっても居心地がいい。

 現実逃避、というとネガティブな聞こえ方ですが、本を開けば、そんな感覚で色んな世界におでかけすることができる。

 だからぼくは、今日もベッドの上でうとうとしながら小説を読みます。

 夢を見るように。

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