
結果や評価もいいけれど「楽しいから」で続けてほしい
親バカな話ですが、昨日ピアノのコンクールがありまして、次男が良い結果を残せました。長男は結果はふるわなかったにも関わらず「ここに出ただけですごいもんな」「舞台にたちたいからまた出る」と言っていて関心しました。こちらがそんなふうに言い聞かせてる部分はありますが、長男が自分で言ってたので嬉しかったです。
自分の子も含めて、コンクールに出ている子どもたちを見ているといつも思う事があって、みんな音楽を楽しんでやれているのかな?って、それがすごく気になってしまいます。
「楽しい」の中身は人それぞれなので、演奏を楽しめるのも、コンクールで評価されることを楽めるのもいいなと思います。努力の過程には苦しいこともあるけれど、もしやりたくないのにやらされていたら、それはちょっとつらい。
僕自身習い事は何もしたことが無いのですが、小中学生の頃は学業や絵に関しては「評価」とか「順位」にこだわっていたタイプなので、純粋な楽しさでないといけない、とかは思わないんです。自分を認めてほしいからやる、っていうのはとても人間的であり、それも楽しみだと思います。
だからこそ、それも「楽しめない」のにやっていたらそれはとても不健康だし、後々音楽から遠ざかってしまったら哀しいなっていう思いがあります。
また、知育のため、将来得だから、脳がうんぬんかんぬんという事で無理やり詰め込まれるのでは「教養」とか「情操」は育たないんじゃないかと思っています。
たとえ感情表現の技術が素晴らしくても感情が乏しかったら深みが出ないし、豊かな感情があっても感情表現の技術が乏しかったら伝えられない。大切なのは心と身体が連動して、そして身体と楽器が連動して音になること。心から身体に連動することも難しいのに、身体から楽器に連動させるときはなおさら心が置いてきぼりになりがちです。
これをうまく連動されるのに「楽しさ」が大切なのだと僕は思います。頭で考えたり技術を駆使するよりただ楽しむ事がいい、だからこそ難しいとも言える。
技術があればみんな驚くし褒めてくれるけど、その一方で、演者の楽しさとか音楽との向き合い方みたいなのは、見てればすぐわかってしまうものだから「楽しめているかどうか」はすぐ伝わるんです。
技術がなかったらスタートラインに立てない、と、僕自身がそう考えてしまうタイプだからこそ、ともすればテクニックの評価ばかりを欲しがるようになってしまうという事がわかります。そして順位のためだけにやる、という理由しか無くなってくると本質に対する視野も狭くなります。
その人らしい演奏というのは、バランスが取れていて、自分でそのバランスを保つ事ができていることなのだと思います。
音楽への純粋な気持ちと自分の持っている技術とがつながっている事がこのバランスを保つ軸であり、その軸を強く伸ばしてくれるのは、やはり演奏の楽しさだったり、曲への感動だったり、音楽家への憧れだったり、注目されることの高揚感や、舞台の達成感など、音楽をきっかけに広がった「楽しい」がどんな形でもいいから、その人の中にあって、それを大切にしつづけてほしいなあと思います
いいなと思ったら応援しよう!
