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フリーランスが仕事を取り戻すのは、エラいたいへんだ。休んだ期間の倍かかるというのを実感する。

先生業と制作の仕事をごちゃ混ぜにして、フリーランスと嘱託的な立場をいったりきたりして10年あまり。

非常勤の講師業というのは、半年から一年間のあいだはコンスタントに仕事があるけれど、いつそれがなくなるかわからない。

また行政主導のプロジェクト、国からの補助金の絡んだセミナーを担当する場合など、ほとんど次年度の継続はあるかないかも見えないままに進みます。

なんとなく、それを、口にするのがはばかられる空気だけれど、僕はそもそもあまり気にしてない。気にしてたら持たないだろう。

補助金というのは、採択されるかどうかもわからない。だから、クライアントさんも明言のしようがないんです。

他の仕事を断って予定を空けておいても連絡がないまま仕事が途絶えるときもあるし、年度も終わるというときに急に予算消化が行われることもあります。

他の仕事と予定がかぶって請けられない年があると、それっきりになってしまうこともよくあります。

制作だけならもっと楽だし詰め込めますが、先生業はかなり時間の制約があります。何曜日の何限、と決め打ちされると、その日の半日くらいは何にもできませんから。
しかし好きで選んだのだから、僕自身は別にそれでいいと思っているんです。

というのも、なくなった仕事は、違う仕事がうまれて埋めてくれます。決してそれが、コンスタントで安定的というわけではないけれども、なんとなくうまくはまっていきます。

なくなった仕事がまた復活したり、あたらしいチャレンジができる仕事が舞い込んだり。誰かが、どこからかそれを運んできてくれます。

なぜうまく仕事の減った穴がふさがっていくのか。よく言われることですが、人と会うことや、つきあいが大切なのはみんなわかっていることです。

つきあいに時間を割くなんて、そんな考え方はもう古い、というのもまた、わかる気がしますが、自分自身のネットワークを活用する以上、そのネットを張り巡らしていくことを止めては、事業の成長もありません。

しかし、中にはおつきあいしたくない相手もいるでしょう笑、まあそれが当たり前です。無理なつきあいで食事をしたり飲みにいったりすることはむしろストレスです。しかし、苦手だなと思っている相手でもそれが仕事の対面ではなくて、何気ない会話とか、話を聞くだけなら楽しいこともある。

もっと本質的なところでは、とくに用事がなくても会って話すこととか、最近連絡を取ってない人に、元気ですか?っていうメールとか、こうやってブログを書いて自分のことをひっそり伝えたりとか。

そういうのは「余裕をもったおしゃべり」であり、そこにつきあいの大切な部分があるんだということを、自分が活動を控える時期がすぎたあとで、切実に知ることとなりました。

「余裕があるなかでのおしゃべり」は、それが雑談でも、近況報告でも、なんとなくポジティブで、創造的なものだなと感じます。

不満や愚痴をいうだけのおしゃべりは、僕はかなり疲れてしまいます。話に生産性がほしいわけではありませんが、時間に余裕があっても気分に余裕がないときは、人ってなにかに不平不満をいうことばかりしているように思います。

とりとめのない話にこそ、そこには創造性があります。フリーランスの強みは、自分のネットワークをどのように成長させていくかだと思います。それは会いに行ける人や、気軽にメールできる人としかつくれないネットワークがあり、それは「コミュニケーション」以上に、しっかりとお互いの人生を見守っているのだと思います。

効率だけを重視すれば、クラウドソーシングで十分でしょう。でも、何かの理由で自分のできることが極端に制限されたり、パフォーマンスが落ちたりしてしまったときに、クラウドソーシングは仕事を与えてくれるでしょうか?

顔が見え、声が聞こえ、雑談をかわせる関係だからこそ、お互いがこまったときにつながりあったり、方向性を確認しあったりするための仕事があったりします。

人は、うまくいかないと余裕がなくなります。すると「必要ではないこと=無駄なこと」という思考になるのは、とても危険です。すぐ仕事に結びつかないつきあいなら、しなくていい、というような思考です。そもそも、人付き合い=しごと、などと思ってなくても、こういう思考に陥ります。

とくに、フリーランスという、自分の時間や投資を自分のイニシアチブで決めやすいしごとでは、その気分の差が、大きな足かせをつくることになってしまうのです。

1日サボると3日戻る、といいますが、フリーランスが3ヶ月「余裕をなくす」と、倍の6ヶ月は元の軌道にはもどりませんでした。また3年嘱託勤めをした後には、あたらしいことへの「チャレンジ」がことごとく失敗する時期がありました。

時間も余裕もないときには、無駄をカットしてスリムになれば、きっと楽になるだろう、とそう考えてカットしたものは、仕事よりも大切なものだったわけです。

人に会わないことはもちろん自分の思考を狭めてしまいます。それから、アウトプットする機会をへらしてしまいます。すると、自分が何をしたいのか、わからなくなってしまうのです。
一見、目的があるのかわからないようなおしゃべりは、具体的に話を進めることにはならなくても、話が膨らむことに意味があるんです。それがその先の可能性をおおきく柔軟なものにしてくれる。

そして、人は根っこでつながっている。流れの中に生きている。同じ流れの中にいる人は、お互いをちゃんと見守っている。

しかし、お互いの姿がみえなければ、準備もできないままになってしまう。その準備というのが一緒に種を蒔くことです。僕たちフリーランスは、収穫の合間に、手入れの合間に、どんどんつぎの種を蒔くこと。

メールでも会話でも、ポジティブなおしゃべりすることは、種蒔きだ。
種こそが次につながる生命をいちばん蓄えている。

だから、田畑をリセットしてはいけません。意味なく思えることほど重要な可能性がある。

偉い人はみんな、そんな感じのことを言っているでしょう。

フリーランスの働き方とはまさにそんなことの連続ですから、どんなに余裕がなくなっても、周りの反対を押し切ってでも、誰かと、とりとめのないおしゃべりは、大切にしましょう。

止まらないで!




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