体育嫌いだったけど、身体を動かす事は楽しめるようになった話

SNSが体育の話で盛り上がっている。
旧体質の体育の授業のせいでスポーツや運動が嫌いになったという話。

僕もおんなじで、体育の通知表は5段階でほぼ1しかついたことがない。ボールはとれないコントロールできない。ドリブルもリフティングもできないマラソンも徒競走もビリ。そもそも幼稚園の時はスキップができるのも1番遅かった。
体育は友達に迷惑をかける時間であり楽しいと思ったことがない。

そんな中、早い厨二病のため小4から筋トレをしてきたおかげでマット運動だけは余裕でこなせたが、タイムとか順位が成績に直結する体育の授業では、僕の飛び込み前転の美しさなんて焼け石に水である。

そもそも体育の時間に何かを教わったという記憶がない。そこは「やってみろ」からの「やっとけ」の世界なのだ。同じ時間を使ってできる人がどんどん上手になり、身体の使い方がわからないとずっとそのままである。

あるとき後輩からキャッチボールをやろう、と言われたことがある。僕はちゃんとミットをつけて「キャッチボール」というものを生まれてから今この瞬間まで10回やってない。本当にだ。

僕は恥ずかしかったが、まったく球を受けられない、と正直に言った。すると後輩は「あ、そうなんすか、じゃあ、ぼくが取るんで投げてください」と言ってくれたが「どこ行くかわからないよ」と返した。
「まあ一回投げてみて、思い切り」と言われて、あらぬ方向に飛んでったボールを取ってきてくれた後輩は、バカにすることもなく「投げ切るまでぼくから目をはなさないようにしてみてください」と言った。

ボールを持っている手に意識がいってるので、ミットをみつづけるのがむずかしいのだけど、がんばって最後まで見ながら投げてみた。そしたら、きれいに後輩のミットにボールが飛んでいった。

言われてみれば、今まで僕はどこを見ながら投げてたんだろう?ドッジボールも、ボウリングも、あらぬ方向に飛んでいく球を投げている時、僕はいったいどこを見てたんだろう。

僕は、そのときはじめて気づいた。
「投げたい場所を見ていれば、そのあたりに飛ぶ」ということに!!!


彼のおかげで僕はそれからいろんな事に気がついた。

「ボールをまっすぐに蹴りたいときは、脚をまっすぐに当てないといけない」ことや
「チカラをいれたら身体は硬くて、チカラを抜いたら身体はやわらかい」ことなど
まるで、あたりまえ体操。

ひとつ何かができると変わってくる。球技はやっぱり下手だけれど、身体を動かすゲームやレクリエーションが楽しめるようになり、下手でも気にしないようになれた。

人は関心を失うとそれが嫌いになり、避けるようになり、楽しさを再び得る機会はそうそう訪れない。
今の体育の中にももっといろんな選択肢があって人によって楽しみ方の幅があると良いなと思うし、生活の質が豊かになるような身体の動かし方について学ぶ時間であってほしい。

そして昔の体育のあり方を批判するよりは、今からでも別におそくないから、運動を楽しめるようにきっかけを見つけられる人が増えたら良いなと思う。

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畠健太郎 プリズムデザインラボ|フリーの先生
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