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食の好き嫌いと、制作行為によるリフレーミング

テレビで「幼児の野菜嫌いを解消するために、幼稚園で野菜の栽培をさせたら野菜大好きになった」というようなトピックを見かけて、何かいろいろ思う所あったので書き留めてみました。

幼児期の好き嫌いってなんなのか

私も幼児の頃は普通に好き嫌いあって、人参とかダメだったのですが、別に味を嫌っていたわけではなかったように思います。
なぜ嫌っていたかというと、人参が喉を通る時に毎回えづいてしまって、苦痛だったからでした。

えづく原因は味が嫌いだから、ではなく、ただの生理反応というか、本能的な習性のようなものだったと解釈しています。
不慣れな味の食物を口にして、「異物だ。毒かもしれない。」と脳が判定して吐き出させていたのだ、と。
繰り返し口にする事で慣らしていって解決するものなのでしょうが、何らかネガティブな体験(吐き出したことを怒られたとか、機嫌の悪い時に口にしたとか)と紐付いたりしてえづく癖がついてしまい、苦手克服に時間がかかったのではないかと思われます。

何が言いたいのかと言うと、「子供の好き嫌いって、『これは異物だ』という先天的な思い込みからくる防衛行動であって、その思い込みをどう取り去るかが解決の鍵なんじゃない?」ということです。

自ら作る、というリフレーミング

苦手な食べ物の克服は時間をかけて少しずつ慣らしていくしかない、と思っていたのですが、冒頭で挙げたテレビ番組を見て、「自らの手で作ることによって『異物』を一気に『自己の生産物』に変えられるってことか」と気づいたわけです。無意識レベルの認識をガラリと変えられる。

これは、いわゆるイケア効果とか、書籍「融けるデザイン」で言うところの自己帰属感とかにも通じるものがあると思うのですが、なんらかのモノに対して自らの手を動かしてその生成過程に加担するというのは、それについての認識や知覚に大きな影響をもたらすことが見て取れます。

(振り返って思うに、自分が人参に対する苦手意識を完全に払拭したのも、一人暮らしをして狂ったようにカレーを自炊しまくってた頃だったような。)

このところデザイン界隈でよく目にするキーワードとして「共創(co-create)」とか「インクルーシヴデザイン」ってありますが、これらを「多様な人を巻き込んでデザインするんだ」という角度のみでなく、「多様な人の認識を塗り替えるんだ」という角度から捉えるのもアリだな...。と思うのです。

具体的には、....うん、具体的には何だろう。
AIをみんなで育てよう、とか?
ちょっと具体像は見えていないのですが、「異物」と見なされているものを「自作する」ことで自己に属させる、というのはイノベーションの1つのキーになるな、と思ったわけです。
物理的な形を持たないデジタルプロダクトでは特に、「どういうものとして認識されるか」の影響がでかいので、重要かもな、と。

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