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魚を食べたと言えなくて

私は旦那さんに「魚を食べていること」をずっと言えなかった。
彼はドイツ、つまり陸に囲まれた国に住んでいる。以前電話で、「冷凍のノルウェーサーモンしか手に入らない」と言っていた。

九州出身の彼は魚がすきだ。暇な時はYoutubeで釣り動画を見ている。
だから私は「自分だけがいい思いをすること」がどうしても許せなかったのだ。フォースは我と共に、魚は彼と共に。

別に魚がなくても生きていける。タンパク質は、豆腐でも肉でも卵でもなんでもいい。そんな感じで、魚をかれこれ1年くらい避けていた。

正確に言うと、無意識的に避けていることにも気づいていなかった。
先日、友人が「ツナの作り方」をツイッターでシェアしてくれて、「作りたい!!!」と思ったその時に、しばらく魚を食べていなかったことに気づいた。あれ、魚、食べていなかった。と。


やべえな、と思った。
自分がやべえ、と思ったのだ。
「勝手に自分にルールを作っていた」自分を認識した瞬間である。



他人と思ってからが関係構築の始まり

夫婦関係だけでなく、人との距離感のとりかた、キープの仕方が非常に苦手だ。好きな時はとことん相手が自分の中に入り込んでくる。もっと相手に好かれたいと思ってしまう。もっと褒められていたい。

子供だった自分は1年間旦那さんと離れて暮らしてみて、自分を見つめ直してみて、ようやく人との距離感について、一つの解を得た。

他人は他人。
どんなに近くても、家族でも他人である。


自分の中に他人を作っている場合、それのほぼ99.9%くらいは、勝手に他人の虚像を自分で作ってしまっている。
プレゼントなんてエゴ中のエゴだ。「喜んでくれる」は自分が勝手に期待していることだ。

大切なひとを、完全な他人と意識することで、「どうしてうまくいかないんだろう」、「嫌われちゃったかな」みたいな根拠のない憶測は徐々に消えてくる。

大丈夫。あなたの価値はあなたが決めていい。
私のように、自分で謎のルールを作り上げて苦しんでいる人はいないだろうか。それはきっと、誰も喜ばないので今すぐにでもやめていただきたい。
私の今日の夕食はサバの味噌煮だ。旦那さんに思いっきり美味しそうな写真を撮って送ろうと思う。それでいいのだ。自分をご機嫌にすることがあなたが今集中すべきことだ。


歳を取るほどに、きっと私はいい感じ。そのまま行こう。

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