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かきくへば、と人は云う。それは一体何なのだ。

サンマが不漁である。
今年は、サンマも新型コロナで外出自粛していたのであろうか。

あるいは、
サンマは海の生き物であって、日本国とは違う国のしきたりで生きているかもしれず
であれば、自粛要請なる矛盾した表現とは無縁の、外出禁止令の下で生活しておるのかもしれぬ。



秋の風物詩。

秋といえば、なんだ。
梨が出て、秋の入口に居ることを知る。
そうしてぶどうが出回り賑やかになると秋なのか、
それともいちじくが、いや、栗が、新米が。

昔は体育の日といえば10月10日だった。
なんだか特別な日だな、という気がした。
いかにも運動会に似つかわしい日であった。今年は雨が降ったけれど。

運動会の日、
お昼は、母親がお重で弁当をこさえ、ご近所の方と一緒に食べるのであった。
小学校1年生のときの母親は
「我が家の弁当は貧相だ」と言われないことに
神経をとがらせていたのを思い出す。
子供の頃には理解できなかった、大人の心の動きが
あるとき「ああ、そうだったのか」とわかったのであった。

運動会の午後は、騎馬戦や、玉入れ、最後はリレーであった。
午後になって日が傾くと、少し肌寒くなった。
そういう秋である。

秋の遠足。
私は大阪で育ったのであって、奈良への遠足が定番であった。
そうして、秋の奈良、明日香のあたりを
「オリエンテーリング」なるイベントでうろうろと歩いた記憶がある。
歩いていると、たくさんの柿の木があって
熟れた柿が、
あるものはきれいな形でぶらさがっており
あるものは鳥についばまれており
そしてあるものはそのまま投身自殺しておった。
アスファルトにべちゃっとなっておった。
無常であった。

そよ風吹く午後の静けさ。
あの風景はまさに
柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
であった。
歩いたのは明日香だったけれど。


そういえばわたしは数年前、
かきについて思いつくことを書き留めたのだけれど
その文章はそういう「秋の風物詩」という情緒とは
まったく無縁であった。


宮城県の松島といえば、牡蠣小屋が有名なんだそうである。
何やら検索してたらうっかり知ってしまったのである。

食べ放題もあるんだそうである。
何軒も小屋が建ってるんだそうである。
しかし、私はそれを見たことがない。
そもそも魅力を感じないのである。

牡蠣は好きか。

栄養が詰まっているのだそうだ。


幼い頃、父親が酢がきを食うていた。
私は「何やらおかしなものを口に運んでいる」と思うた。
父親は「ほれ、一口」と私に勧めてきた。
勧められた私はそれを口に含んだ。
美味いとも不味いともわからなかった。
ただ、ところてんのような酸っぱさがすると感じた。

今思うとそれは二杯酢の味であった。
私は不思議な顔で牡蠣を見ていただけなのだが、父親はそれを勘違いした。
もっと食え、という素振りでもう一口私に食べさせた。
栄養があるものだからか、身体は「不味い」という抵抗をしなかった。
私はただ「なんやこれ」と思うた。
子供のくせに
酢がきを平気な顔して食いよる。
おもしろがった父親は母親の分まで私の口へ入れた。
私は無抵抗にそれを飲み込み続けた。
やがて食い過ぎて気分が悪くなり、
あのおかしなものは二度と食うまいと思うた。


その後、
牡蠣を口にせず大人になった。

しかし悲劇は起こった。
会社の食堂で昼食を食おうと並んでいたのだが、
時間が遅かったためか次々おかずが売り切れたことがあった。
今となって列から外れるわけにもいかず、
もうそれしか残っていない牡蠣フライの皿を盆に乗せた。
その牡蠣フライなる代物はいかにも貧しい佇まいで、
皿の上でカラカラと干からびた音を立てていた。

大人になったから牡蠣を食えるかと思い箸を付けた。
一口噛むとどぶのような味がした。
紫色と茶色と緑色をごちゃ混ぜにしたような臭いが鼻から漏れていく。
嫌な汗が出たように感じた。
これは、身体が警告を発しているのやないか。
他の社員は動じることなく食うていた。
私は自分の味覚が破綻したかと思うたが、
たまたまハズレのものに当たってしもうたのやと思うことにした。
しかし、あと数個残った茶色い塊には絶対に箸をつけなかった。


牡蠣を食えばどうなるのか。
私はあれ以来食うたことがないのでわからない。
あれはどぶの味ではないのか。
しかし、巷には「オイスターバー」なるものすら存在する。
正気の沙汰とは思えないのであった。
あれを食うとしあわせな気分になるのか。
私だけがその至福の感覚を与えられないのか。

そうだ、
きっとアレだ。かき食えば、だ。
牡蠣を食えば、鐘が鳴るのだ。
そうだとして、
食うたときに鐘がならなかったならば
いま食べたものは、何だ。
橙色の果実ではないのだ。
かきではないのか。しかしかきである。
かきを食えば鐘を鳴らさねばならぬのか。


たとえば
牡蠣がたまたま橙色の海草を食んで、
その結果、身が橙色になってしもうたら、
それを食うたときはやはり
牡蠣食えば 鐘が鳴るなり
になるのか。

しかしその鐘はどこで鳴るのだ。
牡蠣小屋でか。
食べ放題の時間制限があと5分ですよ、という鐘か。
そんなものがほんまに鳴るのか。
食べ始めのタイミングが各々異なるのに
鐘が鳴ってしまえば誰の制限時間なのか皆目解らず
大混乱を来すではないか。

それは、西大寺の鐘ではいかんのか。
あるいは、山を越えて道明寺の鐘でもいかんのか。
海を越えて祇園精舎の鐘は、あれは鳴らすタイミングが違う。
ならば、是が非であっても法隆寺なのか。
しかし牡蠣小屋は松島だ。

斑鳩の里で鳴る鐘の音が、はるばる松島まで届く道理がない。
いったいどないしたらええのだ。

そもそも、
鐘が鳴らなかったなら、
聞こえなかったならば、
今しがた食うたものは何なのだ。

やはり鈴なりに生った
橙色の果実でなければ用を為さぬのか。
そもそも
あの鐘を鳴らすのは、誰だ。和田アキ子か、それとものど自慢か。

いま一度、歌を確認するのであった。

かきくえば
かねがなるなり
ほうりゅうじ

わたしの脳裏に浮かぶのは、牡蠣小屋ではなかった。
晩秋、明日香の遠足である。
お昼を過ぎて少し疲れてきた時間、
落葉して熟れた果実の残った柿の木を見上げている。
遠くで鳴るお寺の鐘が聞こえてくるのであった。
頭の中で、お寺の鐘は近くでは鳴らない。
そういう少し控えめな風景を「情緒」と捉えているのであった。

ここで私は現代人として
正岡子規の呪縛から逃れられないことに思い至った。

そして
人生をとぼとぼ歩いていくと
自分の固定観念の頑迷なことに
愕然とする瞬間のあることをも学んだのである。

しらんけど。