日本の社会では、賃金に差をつけてはならない。(松下幸之助、稲盛和夫の天才)

社会科学では、日本の会社は、共同体であると位置付ける。
共同体の利益配分とは、収穫物はいったん共同体全体のものとし、そのうえで、メンバー全員に平等に配られるという方式がとられる。
成果主義、業績主義ではないのだ。
日本の会社は共同体である。
この、現実を理解したのが、松下幸之助であり、稲盛和夫であったと思う。
要するに、日本の会社とは、Family、家族であり、運命共同体なのである。
松下幸之助の仕事は社員の冠婚葬祭に走り回ることであったという、稲盛和夫の仕事は、夜、社員のために、飲み会(コンパ)を開き、そこに、顔を出すことであったという。
ようするに、正解なのだ。
稲盛和夫は欧米式の組織論を完全に否定する。
従業員の間に賃金の格差などあってはならないと。
天皇共同体、血縁共同体、地域共同体、宗教共同体、などが、すべて、崩壊してしまった、日本では、職場だけが、役所、会社だけが、共同体になってしまった。
共同体を機能させ得るには、共同体の性質を知らなければならない。

松下幸之助、稲盛和夫は日本を代表する、世界的な経営者である。
彼らの、成功の秘訣は、日本社会の現実をとらえたことにある。

日本の社会では、、天才、とか、才能の有るものとか、実力の有るものは、徹底的に搾取されてしまう。みんな、家族なのだから、強いものは、弱いものの面倒を見て当然だ、というわけである。

日本の会社の社員は家族なのであるから、リストラ、首切り、解雇などは、思いもよらない。経営不信に陥ったら、全体の従業員の給与を下げても、雇用は守る、赤字でも給与は出すのが、日本企業である。

だって、家族なのだから・・・・・。

日本の社会、会社では、優秀なもの、優れたもの、業績をあげたもの、成果を上げたもの、怠け者、能力が足りないもの、成果の上がらないもの、の間で、一切、賃金、報酬に差をつけてはならないのである。

解雇についてであるが、日本の社会で「リストラによって会社の業績を回復させました。」なんて言おうものなら、日本の社会では、「聖母マリアを犯しても、免罪符を買えば許される」と言ってまわった修道士と同じような目で見られること請負だ。犯罪者と同列にみられるでしょう。

だって、家族なのだから・・・・。

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