
ピラティスと子育てと生き方と〜ピラティス編②
ピラティスのワークショップは、マットワークを1つずつ紹介するような形式で、延々動き続けるという内容だった。
率直な感想としては、「今までにやったことのある動きばかりだなぁ」だった。
例えば、ヒップリフトやブリッジと呼ばれる、仰向けに寝転んで膝を曲げた状態で臀部を上げ下げするような動きや、アッパーボディカールなどの腹筋系。
そこにピラティスの特徴は背骨を一個一個動かすことらしい。
は?背骨を一個一個動かす?なんだそれ?みたいな感じで、
ピラティスの知識も何も知らない状態で参加したので、得られるものがあまりなかった。
それなのに、そのワークショップが終わった後、養成コースがあることを告げられ、受講を勧められた。
ピラティスは今後どんどん日本に浸透していく。そのためには供給を早急にすべき。
ということで、養成メンバーに訳もわからないまま入ってしまっていた。
ただ、「なんだかよくわからないけど、これから日本に入ってくる新しいものならば、今資格を取ったら岡山で1番になれるな。」
と、なんともミーハーな思惑があったことははっきりと覚えている。
なんとなくピラティスが私のハート?魂?よくわからないが引っかかったのである。
始まりはミーハーだったとしても。。。
その後、アメリカはサンフランシスコにてピラティス指導者として活躍中の日本人インストラクタートレーナーが来日し、彼女から養成を受けた。
無事、養成コースとトレーニング期間を終え、筆記と実技試験をパスし、晴れてピラティス指導者となったのだ。
しかし、インストラクターの資格は取っても、その後学ぶ所がない。
たとえ学ぶ所はあっても、周りのインストラクターの先生も経験は浅い。ピラティスを熟知している人はいないと感じたのだ。
それならば、熟知している先生の所に行くしかない!と、私はサンフランシスコにいるインストラクタートレーナーにコンタクトを取り、
サンフランシスコでパーソナルセッション受講とトレーナーのセッション風景を見学させてもらう事にしたのだ。
当時、下の子は2歳。
母親に2人の子供を預け、単身アメリカに渡ったのである。
行くと決めたら準備は早かった。とても事はスムーズに運んだ。
まるで私をサンフランシスコに行くことを祝福してもらえてるかのごとく、不思議な出来事が連続して起きた。
飛行機の航空チケットが1席だけ残っていたり、
サンフランシスコのホテルを探していると、日本人が経営してる「すずめのお宿」という宿泊施設に一発で検索ヒットしたり、
休みがスムーズに取れたりと全てが奇跡的だったのだ。
特に「すずめのお宿」では運命的な出会いを果たす。
これはまたの時に話をするとしよう。
ピラティスと生き方の考え方が180度ガラッと変わる素晴らしい出会いだった。
私のターニングポイントと言っても過言ではないだろう。