
ピラティスと子供と生き方と〜ピラティス出会い編①
私はピラティスという運動指導者になって今年で18年になる。
24歳の時、勤めていたスポーツクラブの退職と同時に妊娠をした。
その後は子育てを中心に、フリーランスとしてスポーツクラブや運動施設、カルチャーセンターと契約をし、講座やクラスを担当していた。
何事にもこだわる私は、会員や生徒の前に立って指導する立場として、正しい動きや綺麗な動きを身につけたかった。
そのために私は競技エアロビクスの第一人者の先生から、綺麗なムーブメントを学ぶためにレッスンを受けていた。
そこに集まる同志たちの明るい雰囲気や真面目さひたむきさに、心地よさを感じ毎週欠かさず通っていた。
先生は全国大会にも出場された経験をお持ちなだけあって、とても綺麗でダイナミック且つしなやかなムーブメントをされていて、彼女の動きにとても憧れていた。
その頃の私はまだまだ解剖学や機能解剖学、運動学の知識に乏しく、ただがむしゃらに練習をしていた。
毎日練習をすれば必ず上手くなる。
そう、高校受験をしていたあの頃の私のようにやれば出来ると思っていたのだ。
私と同時期に競技エアロを始めた仲間は、スタート時は同じくらいの身体の柔軟性だったのが、どんどん可動域も広がっていって動きも上達して行った。
それをみていた私は焦りもあって、無理なストレッチをしていた。お相撲さん顔負けの股割りのような事もしていた。
今になって思えば当然なのだが、私自身の骨盤の動きや股関節の付着角度を無視した無理なストレッチがたたって、左脚膝関節内側にガングリオンが出来てしまった。
と同時に、無理矢理振り上げるハイキックによって、腰椎も痛めてしまったのだ。
満身創痍とまでは行かないが、焦りと完璧さを求めるがあまり、体が悲鳴をあげていた。
そんな中、あるフィットネスインストラクター向けの情報誌に「ピラティスワークショップ」と書かれている文字が目に留まった。
「ピラティスはしなやかな体をつくる」という文面に惹かれた私は、怪我をしやすいこの身体にピラティスが役に立つかもしれないと思って、そのワークショップを申し込んだ。
2003年のことだった。