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ピラティスと子育てと生き方と③〜サンフランシスコ編

サンフランシスコに行ったのは、2005年。
今から17年も前の話だ。
記憶が曖昧になってしまっているが、思い出しながら書こう。


思い立ったら即行動の持ち主なので、英会話教室には一切行くことなく、なんとかなるだろうという軽い気持ちでアメリカに飛び立った。
(後日談だが、やはり英会話は慣れる事が大切だと悟り、帰国後スクールに通ったという順番があべこべな話。)
アメリカには10日間ほど滞在し、その間は主に宿泊先の宿とトレーナーのスタジオがあるビルを往復する感じだった。
中学生の頃から洋楽ばかり聴いていた私は英語耳になっていて、
ネイティブの話す会話を聞き取れたり、発音が良かったので簡単な会話なら苦労なくできた。
しかし、私は超がつくほどの方向音痴だった。
ビルに着いたはいいが想像以上に大きなビルで、ビルの中で迷子になってしまったのだ。
ビル内のオフィスプレートを見てもトレーナーのスタジオ名を探し当てることができなかった。
理学療法士と連携して仕事をしていると聞いていたので、
「physical therapist」と書かれてあるオフィス階に行ってみたがわからなかった。
中を覗こうにも白い壁、茶色の扉に塞がれてみられない。
誰かに聞こうにも、誰ともすれ違わない。人っ子一人としていなかったのだ。
1時間ほど彷徨って、ようやくトレーナーが私を見つけてくれた。
アメ〜リカ。。。領土のみならず、建物内も広かった。
トレーナーの顔を見て安堵して泣きそうになったのは言うまでもない。


貴重な1時間をロスしてしまい残念であったが、トレーナーは優しく私を迎えてくれ、
「ほんと一人でここまで来るって、すごいよね〜〜」と感心されっぱなしだった。


初日は、理解あるクライアントのおかげで、セッションを見学することができた。
2日目から私個人のセッションを1日2セッション受けた。

これがピラティスだったのか・・・。正直な感想だ。
そう、私は本当にピラティスのことをほとんどわかっていないまま資格を取った。
ピラティスのマシン(イクイップメント)も身近にない。
ということはイクイップメントにも触ったことがない。
というほどど素人だった。

姿勢評価や動作分析をし、クライアントとコミュニケーションを取り、今日のセッションへと入っていく。
深刻な問題を抱えたクライアントに関しては1階上のオフィスにあるPTとコンタクトを取って情報交換をしているらしい。(階が違うんかったんかいっ!)
ピラティス・・・。なんだか面白そう。
そこで初めて私はピラティスをより深く学びたいと思うようになった。

滞在中にトレーナーはお気に入りのスパニッシュ料理屋に連れて行ってくれ、そこでもピラティスのことやアメリカでの生活、ピラティスの浸透度など教えてくれた。
これでピラティスが全て分かったわけではなかったけれども、実り多きアメリカ滞在であった。


またピラティス修行と同時に、私の人生観を大きく変える出会いがあったと前記事に書いたのだが、その運命の人は日本人の女医であった。
彼女とは日本人の奥様とアメリカ人の旦那様が夫婦経営する「すずめのお宿」という宿で出会った。

彼女との事はまた次回話すとしよう。


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