見出し画像

不如意

まず、私の家庭環境について、以下の記事をご覧ください。


悪夢を見た。




その日は、noteで知り合った方と会う日だった。
私の過去の記事や呟きを読んで、ギチギチに絞められたこの鎖を、少しでも緩めようとしてくださった人。


前日は、不安と期待でドキドキしていた。

どんな話が聞けるかな。どんな話をしようかな。一緒にシャボン玉飛ばすの楽しみだな。
でも私はなんの面白みもないつまらない奴だから、嫌われないかな、退屈させないかな。
家のことを相談したい。
彼女と私とでは家庭内事情は違ったけれど、「家族」から離れて、自分の人生を生き(ているように私には見え)る彼女のことを、知りたかった。


その人と会うことで、答えが出るとは考えていなかった。

しかし、何かを変えたかった。

家族がいるから死にたい。
家族がいるから死ねない。
この現状を変えるヒントを得られるかもしれないと、期待していた。



そしてその夜、悪夢を見た。


夜の深いうちに、誰かに起こされ、教祖の写真が飾ってある部屋へ誘導される。
宗教の儀式を行う前の、独特な、これから神様のために必要なことをする時のような、嫌な強制力を感じた。


父が一言、「心中をするよ。」と言った。
顔は見えなかった。
手に持っているのは手帳型のカレンダー。今日の日付のマスが黄色で色付けされていた。心中をするには、この日にしなさいという教会からの指示だった。


母は、教会の関係者に「これからやります。」といったようなことを電話で伝えていた。


神奈川に住んでいるはずの兄までいる。


教祖の写真と祭壇のあるその部屋で、お香のような、線香のようなものが一本だけ焚かれた。
その煙を吸うと死ねるようだった。


私だけ生き残ってしまうという理由のない確信があり、身体の奥底から「嫌だ」という気持ちが湧き上がってきた。


しかし、それが声になることはなかった。
今までだって、家で行われる宗教的な儀式には、半強制的に参加させられていた。

嫌だと言えば怒られる。こんなにも私たちを愛してくださっている神様のためのことが、なぜできないのかと問われる。

そして、反抗を続ければ、「もう良い」と見放される。
それが何より怖かった。


そうして「儀式」は行われ、この夢を作り出した私の心臓だけが、都合良く脈打っていた。



目が覚めた時の動揺は、凄まじいものだった。
身体は強張り、ガタガタと震え、冷や汗が止まらない。

自分の心が厚さ0.5ミリの薄いガラスに変わり、何かほんの少しでも刺激が加われば、それは粉々になって、私は狂ってしまう。私を失ってしまう。
そんな心地だった。


午前中の通院の予定は、キャンセルせざるを得なかった。

心を守りたいと思うくせに、五感は過敏になり、私を壊そうとする。
気持ちを落ち着けようと、自傷もした。効果は無かった。


私は、会う約束をしていた彼女に泣く泣く連絡をとり、行けなくなった旨を伝えた。
ありがたいことに、また声をかけるね、と仰ってくれた。




夢の中とはいえ、自分の命より大切な家族をいっぺんに失った。宗教に従って死んだ。みんなが死へ向かうのを止められなかった。

私の恐れるすべて。


ショックを受けない方がおかしい。


この酷い夢に、せめて何か意味を見出そうと、ネットで夢診断の検索をかけた。


夢占いで心中することは、今とは違う自分になりたいという思いや感情の高ぶりを表しています。
自分一人ではなく誰かといっしょに心中するということは、自分が変わりたいというだけではなく、相手との関係性も含めていっしょに変えてしまいたい、今とは違うものにしたいとう思いの表れと考えられます。
日頃から、束縛や干渉がひどくてうんざりしているのかもしれません。


思わず笑いがこぼれた。

心当たりがありすぎる。


しかし、自分や家族の関係を変えたいと願う夢のせいで、そのヒントを得られる機会を逃すとは。笑える。私が思っていたより、私を縛る鎖は強固らしい。
一歩踏み出そうとしたところでこの始末。

私がこの家から、宗教から、愛から逃れられるのは、いつになるのだろう。

家族には幸せでいてほしい。
私は死にたい。
しかし、私の死は間違いなく家族を不幸にする。
いっそ、憎んでもらえたら。憎むことができたら。
こんなに苦しまなくてすむのだろうな。



7月の太陽が昇っていく。蝉が鳴き出す。
私はまだ、目を覚ませない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?