話を聞くだけ何もしません6
肌寒い時期が始まったかと思えば、今日みたいに快晴で暖かいというよりも熱さを感じてしまう日もあるので着る服も慎重にならざるを得ないというか。
まぁ。夕暮れにはやはり肌寒くなるので季節の変わり目は体調に気を付ける。と言うのがこういう時期なんだろうなと思う。
今日、お話をしてくれる方が風邪を引いたりしなければいいのだが。
・6人目 安藤和樹(仮名)さん 30代男性
喫茶店で相手を待っている間、先月購入した本をちょうど読み終えたので少しばかり感傷に浸りつつもパラパラとページをめくりつつ、なんとなく止めた所から再度読み始める。を、何度か繰り返していると店のドアが開き来客を伝えるベルが鳴る。
慌てて本をバッグに仕舞いながらそちらに目をやると、たれ目の優しそうな男性が私に軽く会釈していた。
目は合わせにくかった。なんでだろう?
アウターに黒いロングダウンジャケット。見えるシャツは水色。パンツはデニム。スニーカー。ありがたい事にラフな格好で来てくれた。
アウターを脱いで対面の席に座っていただいてやっとぎこちない自己紹介を始める。
私は自身の名を名乗り、来てくれたことの感謝、趣味で怪談や不思議な話を聞いている事や普段の生活を話し出すと同時に、合間に世間話を話すと困っていたような表情の安藤さんは徐々に安堵した表情を見せてくれた。最後にこう言う。
「こちらでの飲食代は私が持たせていただいております。ので、お好きなご注文をしてください」
こう言うと相手は少し委縮するというのも困る。
だから前以てこう言う「他の方にも了承いただいておりますので」
我ながら意地悪だと思う。
私が笑顔でこう言うと相手は「それじゃあ・・・・・・」とメニューを受け取る。そんな表情も見ている。もう一度思う。意地悪だと。
私はコーラを安藤さんはホットコーヒーを。思ったより外は寒かったらしい。再度、天気やなんだかんだと軽い雑談をしているとコーラとコーヒーがテーブルに到着する。
私のコーラの付け合わせのレモンは紙かと思うほど薄切りされており縦にグラスのふちを一周している。
唖然としている安藤さんに「ここの店長のいたずらです。今回はどんなお話を?」
そう尋ねると慌てた様に話し出してくれる安藤さん。良い人なんだ。そう思う。
「私の話なんですが・・・・・・」
安藤さんはスーパーに正社員で務めており、普段の業務に加えながら「店員の接客が悪い」「店頭に欲しい商品が無かった」「総菜の半額にする時間が遅い」等と言った訳の解らんクレームにも対応もしている。
辟易する程の電話対応もあるが普段は業務をこなす事がメインである。
そんな毎日が続くけど、安藤さんには楽しみがあった。
休日前の自宅での一杯だ。お酒は嫌いじゃない。
安藤さんが受け持っているのはアルコールコーナー。つまり、その日の補充を見ていれば何が売れ筋か、新商品かは分かってしまう。
休日前日。その日は売れ筋の缶チューハイを買って、退勤して徒歩で帰宅。
皿とかは流しに無い。独身生活が長いからか、家飲みがメインで自宅で飲むためにチェーン店の持ち帰りやコンビニの総菜で済ますのでゴミ袋を多めに買うようになっただけだ。いつも通りに帰宅途中に温くなった缶チューハイを冷蔵庫に入れて、シャワーを浴びて、のんびりサブスクを見ながら持ち帰りの餃子をレンチンして、缶チューハイを取り出そうといつもと同じ様に冷蔵庫を開けた瞬間だった。
「気付いたらトイレで便器に向かって嘔吐していました。その日、忙しくて昼食も何も口にしていないのに、体感で1分程感じましたね」
恥ずかしそうに言ってからコーヒーに少しばかりミルクを入れて、混ぜてから一口飲んで「美味しい」と呟いた。
それをじっと見ている私の視線にこちらの視線に気付いて、照れ臭そうに話を続き始める。
嘔吐する程の異臭が臭ってきたのだ。冷蔵庫から。
嗅いだ瞬間に「だめだ」という条件反射なのか、脳からの命令なのか。どちらかは分からない。けれども上記の様に嘔吐していた。突っ込んだ顔はそのまま。
何度もえずいて落ち着いてやっと自分の状況が分かった。
臭いにやられたのだと。
洗面台で何度も何度も口をゆすいで息を整えながら、少しずつ自分の味覚と嗅覚がまともな事に気が付き始めて少し思った。
「家の冷蔵庫はおかしくなってしまったのか?」と。
普段から使う冷蔵庫なのだから、今後も気にはなる。
「だから開けてみたんですよ。なんとなく。意味はありません。普段通りに」そう言ってコーヒーを飲んだ安藤さん。
「それでどうなりましたか?」とソーサーにカップを置くや否や尋ねる私に安藤さんは「何も臭いませんでした」と言う。
こちらの反応を見てからだろう。色んな話をしてくれた。
自身は独身である事。冷蔵庫は2か月前に新品で購入したものである事。職場は何も問題が無い事。
ここまで聞いて反省した。聞き手側の対応に。
「ありがとうございます。すみません」
感謝と謝罪を含めた言葉だったが安藤さんには上手く伝わらなかったか「それでですね」と話し始めた安藤さんを見て、今後注意しようと思った。
臭いがまだ鼻腔内に残っている気がした安藤さんは冷蔵庫の中を探し始めた。独身男性なのだ、なにかしら置き忘れていても仕方が無いのはこちらも理解できる。こう思い始めた。
「何も無いのが一番怖いんじゃないかと」
段々と不安になりながら焦りながらも1人で勝手に冷蔵庫を漁り始めた。けど何もなかった。そういう時に人は何をするのだろう?疑問に思っていたが安藤さんの話で答えは出た。日常に戻ろうとするのだ。
冷蔵庫に異常が無い事を確認した後に、再度シャワーを浴びて冷蔵庫を開けて臭いが無いのを確認してから缶チューハイを出して冷めてしまった総菜をレンチンしている間、何故か電子レンジから目が離せずにグルグル回る中身を見ていた。
機械の音が鳴って温かくなった総菜を一口かじり、日常に戻ろうとしたがそうはうまくいかなかった。
「缶チューハイのプルタブを開けて一口飲んだ瞬間ですよ。あの臭いが口いっぱいに広がったんですから」
眉間にしわを寄せて私に話しかけてくれたけど同調しがたい。
要は缶チューハイを飲んだらあの冷蔵庫を開けた時の臭いが口に広がったんだと。
理解した瞬間、その液体は喉を通って胃に到着した時に安藤さんは再度嘔吐した。2度目は最初よりも吐いた。それを部屋中に。
四つん這いになったままピクリとも動かない、口から出る嘔吐物が真っ青でとても綺麗な青色だったが特に気にならず安藤さんはそんな態勢のままで意識を失った。
「朝の5時頃に目が覚めたというか、意識が戻ったんですけどね」苦笑しながらそう言った。
「部屋中にあれだけ吐いたのに何も無かったんですよ。部屋もいつも通りの部屋でしたが空気が凄い良くなってたんです。清められていると言うか。凄い爽やかな空気というか」
その瞬間を思い出しているのであろう。不思議そうな顔をして斜め上の方向を見つめている。
「しかも何故か体調がすこぶる良くなってましたね。あの日以降、身体は軽いし視力も良くなるし腰痛持ちだったんですけど、無くなりましたし。身体の悪い所が全部良くなってました。職場の健康診断問題なし。けど、あの日飲んだ缶チューハイはもう手に取れなくなってますね。避けちゃいますよね」
ニコニコ笑っていたが「そう言えば」と思い出した様に「休み明け。昼から出勤だったんだけど、職場までの道のりで何故か普段は見ない筈のバッタの死骸を5匹かな?見ましたね。それが少し怖かったです」
少し強張った表情をしながら安藤さんはコーヒーを飲み干した。
その後は世間話や雑談をして、笑顔で店を出る安藤さんを見送って一人でコーラを啜る。
虫の話はたまたまかもしれないけどなんか嫌な雰囲気を感じてしまうなぁ。
ぼんやりとそう思っていた。