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『宝飾時計』観て演劇が好きになった話


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根本さんの「宝飾時計」を観に行った。
演劇は、友達の出ていた地元のやつと、学校で行かされたよくわからないやつしか行ったことがなくて、自由だとか仲間だとか、どっちも私にとってはなんだかくさくて演劇に苦手意識を持っていた。
それでも観たいと思ったのは、①伊藤万理華ちゃんが好きで、万理華ちゃんの個展での根元さんの当て書きが好きすぎて好きという言葉で脳内がいっぱいになったこと②YouTubeで観たもっと『大いなる愛の先へ』を観て、演劇ってこんなにといいんだ、これを生で見られるって絶対幸せ大好きで溢れるだろうなと思った③ミスidで根本さんが帰り際お声掛けしてくださってその言葉ずっと忘れられなくて、根本さんのことが好きになったから④椎名林檎様が初めて買ったCDなくらい大好き⑤ケイスケカンダが大好き…と観る理由しかなかったから。ほんとっっうにっっ観に行けてよかったな。演劇好きになれた。

*以下ネタバレ含みます_________________________




 終わった後、ふと現実に戻って上手く立てなくて、手すりに捕まりながら歩いた階段。こんな感覚初めてでどうすればいいのかわからなかった。
「思っていたこと全て真実でよかった」がこの世の真理すぎて。真理すぎるだろって。
他人のために生きすぎるくらい生きているゆりかはなぜそんなにも彼を信じられたのだろう。彼もゆりかと再び自分を許せる状態で再開できるように何年も何年も直向きに生きてきたのかなって。2人はあまりにも純粋すぎてトリプルキャストの他の人とは精神年齢が低いかもしれないし、考えすぎかもしれない。どことなく子供っぽくて、でも子供っぽいのもそれはきっと過去の悠太郎との思い出を大切にしているからその時の自分がちゃんといる証拠だと思うし、だからこそ自分よりも祐太郎のことを考えて生きてきた証拠でもある。何年も待ち続けている狂気的な彼らの信頼関係。
 考えすぎるくらいがちょうどいいのかもしれない。その面倒くささ故の言葉が好き。考えすぎだろってよく言われるから、無駄な言葉省かないで考えすぎてめんどくさい思考の言葉を伝えてくれるところが好き。ショートケーキじゃなくてチーズケーキって言っちゃうし、あんなに愛している人に素直に向き合っているのに一番好きなものには素直になれないっていう矛盾って人間だな。はぁー!実は矛盾してないのかな。一番好きなのに好きってすぐに言えなかったり、特に悠太郎は。2人ともいったん考えて考えて考えて言葉にするじゃん。悠太郎はたぶん世の中知っていて賢くてだからこそ繊細で闇をちゃんと知ってる人だから逆に言葉にできなくなるのかなって。私はどちらかといえばそのタイプ。賢くないけど一旦考えてこの先を考えてそしたら何も言えなくなる人間だから。「いつも言葉が足りないんだよ!」って怒られるから。
自分中心が大人になっていくにつれて他人軸になっていくのかな。
そんな2人の愛が好きだしちゃんと私の思っている愛で良かった。愛って、なんか軽々しく愛してるとか愛してないとか、好きと混合してたりそんなもんじゃないだろ!って叫びそうになる時もあるけど、この作品の言葉はちゃんと重たい愛で、言葉になんかしてはいけないんじゃないかっていうくらいの愛を教えてくれる。
そりゃ、ビール缶に花させるときから、ちゃんと花瓶に花させるまでにはうんと何年もかかる。

本当に観てよかった。ほんっっっっとうっっに。演劇ってこんなに素晴らしいなんて知らなかった。なんで知らなかったんだろう!気づけてよかった。

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