見出し画像

美濃加茂サイクリング(ひとり旅2日目)

古民家でむかえた朝

早朝、眠りから意識が徐々に上がってくる。
すだれの向こうの畑はとっくに朝日で明るくなっているものの、まだ夜の延長線でスズムシたちが鳴いている。その声にかぶさるようにミンミンゼミが鳴き始めた。追ってツクツクホウシも。

私は家の中にいながら目覚めの瞬間も外の空気に包まれていた。
緑の匂い、虫の音、自然をずっと感じている。
実家でも寝るときは季節問わず窓を開けて、ささやかながらそれを感じるのが好きだった。

夜中の2時くらいまでは蒸している感じがあった。
段々涼しくなって、朝は快適だ。
まだ強烈に眠いものの、布団から出てその足でヨタヨタと玄関に向かい、スリッパをはき、外の流しで顔を洗う。
太陽の光を浴びながらぱしゃぱしゃと水を浴びると、生きている心地があった。家の洗面所で電気をつけて顔を洗うのとはまるで違う。
これをいつから贅沢と呼ぶようになったんだろうか。

レトロな流し。元は台所などにあったのかもしれない

朝ごはんは、またご主人が出迎えてくれた。
奥さんは朝からカヤックのガイドにでかけるそうで、上やら外やらを行ったりきたりしながら準備している。

朝も手作りの味がやさしい

炊き立てのご飯は粒がたっていて味が濃い。私は普段、ガス釜で炊いているがこんな風にはならない。かまどで炊くことで、こんなに差が開いてしまうのか。
ご主人曰く、この集落に残っている住民たち(みなご老人)は、この宿をとても気にかけているらしいのだが、遊びに来たとき「うちもかまどや薪風呂を残しておけばよかった」と口々にこぼしたそう。
高度経済成長で暮らしが便利に豊かになっていったと信じていたのに、いまやこれらが贅沢な代物になってしまうのだから、考えさせられる。

冬は2,3度、雪かきをするくらいには積もるらしい。日があたれば解けてしまう程度だが、スタッドレスは必要とのこと。
冬の宿泊の場合、1階の薪ストーブが唯一の暖房。広いので防寒しないと中々寒かろう。断熱材を入れようか、考え中らしい。
しかし、5月、6月、9月下旬なんかは最高に気持ちよさそうだ。もう来月、再訪したい気持ち。

電車の時間に合わせて送迎してくれるということだったのでお言葉に甘え、部屋で小一時間、自然の空気を一杯に吸いながらもう一眠りし、宿を出た。
「今度は友達か彼氏と二人で来ます」と伝えた。
今回とは別の「貸切プラン」だと、薪風呂に入れたり、バーベキューができたり、焚き火ができたりするそうなのだ。
ご主人も奥さんも、ラフでいながらこちらを尊重する空気作りが上手だった。本当にリラックスできた。さっきも書いたが、また来たい。

去っていく車に一礼して、駅構内に入る。
今日は、長良川鉄道に乗って昨日来た道を戻る。
20分もすれば、昨日乗り換えた美濃太田駅。

ぼーっとしているとあっという間

美濃太田駅を降りた。
ドコモのシェアサイクルのポートが、駅すぐのホテルにあるらしい。
5台の在庫が尽きないか逐一スマホでチェックしていたが、着いてみてあぜんとした。
どれも充電は満タンなのだが、なんとなーくタイヤが柔らかく、何よりクモの巣が張り放題になっている。
ぴよーんと1、2本張っているのではなく、芸術的なクモの巣がいくつも、もれなく5台すべてに張り巡らされている。少なく見積もっても、1週間は誰も乗っていないのだろう。

最も被害が少なさそうな自転車のサドルとハンドルとかごをなんとかきれいにして(手にまとわりついて離れないので小さくちょっと叫んだ)、出発。

昨晩Googleマップで見た感じ、牛丼屋やラーメン、カフェなどのチェーン店がいくつもあるようで、そこそこ賑わっている都市なんだろうと見受けられたが、駅から南下する限りはそうでもない。歩行者や自転車はほとんどいない。大きな道路に出ると車がたくさん流れていた。

方向音痴の私は、出かける時の道案内はいつもパートナー頼みだ。
今日はひとりだから、自転車に乗るときにスマホで入念に道を確認した。
曲がることが少ない大回りの単純な道を選び、目的地までのチェックポイントとなる3ヵ所の交差点の名前と曲がる方向をぶつぶつと暗唱して、スマホをリュックのポケットにしまった。

今日も今日とて日差しが強い。
サングラスで視界は良好なものの、自転車のため日傘はさせない。信号待ちで止まるとどうしても汗が吹き出す。
道中、ファミマに寄って涼みがてら、凍った緑茶が1本だけ残っていたので購入した。小脇に抱えるだけで、ずいぶん救われる。
コンビニ横で念の為現在地をチェックしようとスマホを取り出したら、日差しを浴びて焼き石みたいに熱くなっていた。

飛騨川にかかる橋をわたって古い住宅街。
駅から6キロほど漕いで、味噌やさんについた。
古民家宿のご飯で、朝も夜も使われていた味噌がここのものらしい。
昔からあるお店のようで、先客はなし。
店内はクーラーがきいててありがたい。
店の奥、大きな味噌樽がいくつも並ぶ中におばあちゃん、おじいちゃん、息子さんとお嫁さん(実のところわからない)が立っていた。タオルハンカチで顔を押さえながら挨拶をする。

私が自転車で店の前まできたのが見えたようで、開口一番「どこから来たの」と聞かれる。美濃太田駅からというとみんなえらく驚いていた。
距離としては大したことないのだから、そんなに驚くことでもないじゃないかとは思う。ただ、ここまで確かに自転車の人はほぼ見なかった。
シェアサイクルの存在は知っているようだったが、クモの巣が張っていた話をすると、「でしょうね」と笑っている。

1キロごとの値段表記だが、500gくらいから売ってくれるとのこと。朝ご飯の味噌汁に使われていた甘口の合わせ味噌と、赤味噌を500gずつもらうことにした。
「赤味噌は食べなれてるの?」と聞かれ、また北海道から名古屋に来た話をする。「ああ、北海道だと米だね」と合わせ味噌を詰めるおじいちゃんが笑う。そして岐阜は岐阜で、名古屋の赤とは少し違って旨味がある、という。つまり、「こっちの方が美味しいぞ」そう言いたい気持ちが滲んでいた。

私が味噌をリュックに詰めたあと、息子さん(多分)がスマホを取り出して、古井(こび)駅から美濃太田駅までの裏道を教えてくれた。
こっちの方が近くて坂も少ない、とのこと。
線路沿いに伸びているので、私でも迷わなさそうだ。
礼を行って、家族に見送られて店を出た。

次は、古井駅方面に戻りながら、飛騨川の真ん中にあるお寺に寄ろうと思う。

本当に川の真ん中にあるのだ

10分もせずに着いた。川への急坂を下り、自転車を停めてリュックを背負い、川にかかる橋を歩く。味噌の分、重く肩に食い込む。

先客の夫婦がろうそくに火をつけて手を合わせていた。邪魔しないように日陰のベンチで一休みした。

私が昨日車窓から見たダムらしきものは、「今渡ダム」だったらしい。
このダムが完成することにより飛騨川の水位が変わって、陸続きだったこの小山観音が川の中に独立し、橋をかけたそうだ。

先の夫婦が橋を渡って帰って行ったあと、本堂の前に立って合掌をしてみた。
それから、鐘をついて良いようだったので気持ちのお賽銭を入れて、鳴らしてみる。
うまくつけず、少しかすれた音になった。楽器でいう「アタックがなってない」音。でも鐘というのは余韻が素晴らしい楽器だ。
私のひどいアタックでも、ゴーンという真っ直ぐな響き、その鐘の胴体の中を揺れるホワンホワンという数学的な響き。どこまでも音がゼロにならない。川の真ん中で鳴るその鐘にじっと聞き入った。聞き終えてもう一回鳴らしたい気持ちを抑え、橋へ戻る。

先程教えてもらった裏道は、美濃太田駅に戻る方向だ。
まだ駅には戻らないで、寄り道をしていこう。
飛騨川沿いを北上し、美濃加茂市から川辺町に入る。
木々の日陰に入ったとき、川からの風が吹くとひんやりするほどに涼しい。と思いきやたまに熱風に包まれる。そんな風を交互に浴びていると、どこからともなく濃厚な花の匂いがやってくる。

着いたのは、酒屋。小田巻というお菓子を売っている。
店内に客はいなかったが、女性の店員が二人。雰囲気が柔らかく明るくて、ぎっしり並べられた酒が面白い。地元のものは思ったよりも少なく、全国各地のさまざまな酒を置いているようだった。

冷ケースにあるどぶろくが気になったが、要冷蔵なのでやめておいた。
一通り眺めて、ついでに涼んだところで、レジに行って「小田巻」の白あんを頼んだ。
若い女性の店員さんがニッコリと「このままでよろしいですか」と言って渡してくれる。ビニールにくるんと包まれただけのそれは、少しずっしりとしていて手に持つと熱い。

黒糖の風味がするもっちりとした薄い生地に、たっぷりのとろりとした白あん

店の外の日陰に置かれたベンチに座って食べた。美味しい。
バクっとかぶりつくとお尻から白あんがはみでる。
私が食べてる間に二人ほど車を停めて、小田巻をいくつか購入して帰っていった。

川沿いに来た道を少し戻って右折し、山に登る道に入る。
傾斜のあるぐねぐね道だが、電動アシストがあるので速度を一定に保てば平地を走っているのとさほど変わらない。

目的地のカフェの看板を見つけたが、入口が分からずに右往左往。
困ったな、と思いカフェに電話を掛けると元気のいい女性が出てくれて、「今外に行きますねえ!」と言ってくれた。
「電話をかけてくれた方ですか〜!」とこっちにやって来たのは声の印象よりも少し年上の恰幅のいい女性だった。笑顔が素敵である。
私が自転車を押しているのでびっくりして、いやでも電動アシストですから、と返すも、私たちは昔から学校行く時はこの坂を上り下りしてたから大変さはよくわかるのよと言っていた。

店内に入ると天井の高い、自然の光がよく入る、木の落ち着く空間。
いかにもマスターという白髪に白髭の背筋の伸びたおじいちゃんと、奥さんであろうおばあちゃん。
先の方が他のお客さんも数人お茶をしている中で、「いやあ自転車で来たんですって!」と大声で入るもんだから笑ってしまった。

汗かいたでしょうからいっぱい飲んでくださいね!と水をボトルで出してくれた。ついでに「これも使って!」とネッククーラーを貸してくれた。汗まみれなのに申し訳ない、と思いながらひんやりを享受した。

コーヒーは深煎りに拘っているらしい。
一杯に20gも使って淹れる濃いコーヒーを頼んだ。
「あったかいけどいい?」と聞かれたが、店内は涼しいし、冷えたお水をガブガブ飲んでおかげさまで落ち着いてきている。

コーヒー、アップルパイ、いぶりがっこ風漬物、燻製チーズ、ベーコン

問答無用でおやつとつまみがセットでついてくる。
コーヒーはぬるめに抽出されていた。
とろみさえあるのではという濃さ、凝縮された味わい。
上手く淹れられていて、コクや旨味が強く、あと引く苦さはない。

アップルパイは、大きなシャキっとしたりんご、ほんのり甘いカスタード。
りんごはシャキッと派なのでこれだけで嬉しい。

長皿には自家製の燻製類。
いぶりがっこ風漬物は分厚く切られていて、他の席の人が食べててもコリコリと音が聞こえてくる。唐辛子が効いていて、ぴりりと辛い。
チーズとベーコンもとても美味しい。どちらも風味が豊潤で、塩味はまろみを帯びていて、素材のコクがひき出されている。
不思議なのは、塩気のあるこれらと濃いコーヒーと交互に口に含んでも全く喧嘩しないことだ。漬物とコーヒーのベクトルが同じなのだ。
どれも深いコクをもっていて、豊かであり、寛容。
コーヒーと漬物、形は違えど、同じDNAを持っている、そんな気がしてくるのは、あのマスターの仕事なのだろうか。

さて、小腹も満たされたことで帰路につく決心がついた。
が、あまりにも汗をかきすぎてしまったので、ユニクロに寄る。
ユニクロまでの道のりは比較的単純そうだ。小さな川までは一本道。地形的に、ずっと下り坂だろう。

店を出て、改めて外を見ると果樹園が多い。色々な場所に「梨」の旗がはためいている。道路を渡り、早速下り坂に差し掛かった。道のそばは、ずっと梨畑だった。

延々と広がる梨畑

梨ロードがどんどん傾斜をつけてくる。タイヤは高速で回り、私はスキーの直滑降の時のようなヒリヒリを感じる。向かい風が耳を覆って音も聞こえない。(危ない。)
間もなく小さな川に出て、平地になり、賑わいのある街並みとなった。
ユニクロにも到着。アジア系の外国人客が意外と多かった。

買った服を味噌の上に押し込んで、駅前のホテルに戻り、自転車を返す。
返却通知に「214分」との表示。自転車も私も、ご苦労様でした。

古民家を出て以来、トイレに一度も行っていなかった。
水分補給は大量にしているにも関わらず、飲んだそばから汗になって流れてしまっていたのかもしれない。駅でやっとトイレに行き、定刻通りの多治見行き列車に乗り込んだ。

車窓を眺める私は、満足げな表情を浮かべていたと思う。
こんなに満足感を持って帰れると思っていなかった。
家で検索した時に「遠いな」と思った美濃市は思ったより遠く感じなかった。美濃加茂市なんて尚のことだ。あっという間だ。

多治見から名古屋行きの中央線に乗ると、俗世に帰るような心地がする。
相変わらずエアコンがキンキンで、ノースリーブではいられない。
リュックから取り出したカーディガンが、味噌の甘い香りをまとっていた。

「自分が人生に求めているものはなんなのか」

これまでは、紙とペンさえあれば机上で考えることもできる、と思っていたけれど、外にでて色々経験することで「どんなことが居心地がいいのか、または悪いのか」が直感としてわかるものだと感じた。
古民家のエアコンのない夜は過ごしやすいのか。
見知らぬ山奥の集落に一人泊めてもらうのは怖くないのか。
日差しガンガンの中の3時間半のサイクリングは楽しいのか。
海外まで行かずとも、飛行機にも乗らずとも、片道2時間半の電車を乗り継いだ先で、私の感性と対話する機会はたくさんあった。発見もあった。

ひとりで行動すると、喋り相手がいないから感性との対話になる。
ひとり旅を「自分探し」だという人に「自分なんて探さずともそこにいる」と返す人もいる。
でも、「自分探し」はあながち間違いでもないのかもしれない。
電車に乗って行ける範囲のたった1泊2日のひとり旅の経験が、人生を変えたりすることもあるのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?