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月を見て想うこと

今日は今年三回目の満月です。英語では"Worm moon"なんて言って、冬の最後の満月ともいわれています。春が近づき始め暖かくなりミミズなどの昆虫も活動を始めることから、”worm"の名前が付いたんでしょうね。

月は様々な形を持ち、それぞれ違った魅力があります。三日月の繊細さや、いまいち完璧になりきれない十三夜くらいの月も、新月の自らではなく他の星の輝きを際立たせる月も、どれも素敵ですが、やはり、満月には勝てないと僕は思います。満月の一度目を合わすと引き込まれ動けなくなるあの感じは他にも多々ある天体の中でも唯一無二です。僕はそんな満月とたくさんの思いがあります。


ひとつ前の満月、つまり二月の満月の日、僕はある女の子とデートにいっていました。久しぶりに本気で好きになった子でした。猫好きの彼女で僕の車に彼女を乗せ、猫カフェに行ったりしていました。

帰りの車でふと目に入ったのはあまりにもきれいな満月でした。好きな人が隣にいて、こんなにもきれいな月が目の前にある。こんなに素敵で幸せな空間に自分がいることに僕は満足してしまいました。

しかし、あの時の僕の立ち振る舞いは彼女にとって魅力的に値しなかったことが後からわかりました。デートなんだからもっと積極的に手をつないだり、もっと近くで寄り添ってあげたり、そんなことが密かに求められていたのです。当時の僕には全くそんなことに気を遣う脳がありませんでした。
せっかく、僕の誘ったデートにきてくれた、その決断をしてくれたのにも関わらず、僕はただ一緒にいるという現実に甘え彼女の気持ちなど少しも考えていなかった。彼女の本音を知ってからは申し訳なさと、後悔と、弱い自分へのやるせなさで僕の頭はいっぱいでした。

ここに幸せの価値観の相違があったこと、これはどうすることもできない、変えられない事実です。僕の幸せを受容するコップと彼女のコップはちょっとサイズが違った、ただそれだけのことなのかもしれません。しかし、この経験は決して無駄にはならないと僕は思っています。僕のコップの大きさが変わったのかどうかはわからないけど、今までよりもっと相手に気を配り、幸せのコップを満たす行動をとっていけるように努力することがこれからはできるかもしれない。まだこの先僕たちはどうなっていくか分からないけど、このことに気付けたという点で僕と彼女が出会った意味があるし、彼女がいなければ一生このことに気付けなかったのかもしれないし。


もし、当時の僕がそんな彼女の気持ちを察して一瞬でも手を繋いでいたりしたら、この満月も違った見え方をしていたのかな。なんて満月を見ながら思ったりします。けっして今の道が間違いではないし、正解でもない。でも二月の満月より僕は格段に成長できた気がする。こうして満月は僕の中でセーブポイントのように人生を見守ってくれている。そんな気がします。

愛とか恋とか、まだ僕にはわからないことばかり。
お金は、一生懸命働いてどんどん増えていけばいつか満足する時が来る。
でも恋愛に関してはどれだけたくさんの人から愛をもらっても、どれだけ本気で愛せる人が見つかっても決してうまくいくとは限らないんじゃないかな、と思います。そういった愛の、気難しい愛のたくさんの苦難の先にある本当の愛を手に入れることが人生でできるのでしょうか。そんな愛を共有し、一生を誓い合える素敵な方といつか出会えるのでしょうか。

人生はまだまだ楽しみなことがいっぱいです♪




てな感じの文章を用意してたのに今日雨やないかい!!!!!!😭


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