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家の顔となる場所

玄関とトイレは家の鏡


小さなころ
おばあちゃんからそう教わった


だから

とくに綺麗にしておかなくちゃいけない
そんな場所なんだって


【玄 関】
家の表の顔?ともいうべきだろうか

家の入口
第一印象を決める「玄関」

その家の「運氣」の入り口でもある


今、その玄関はどんな表情をしているだろうか?


靴は出しっぱなしにしない
ゴミを置きっぱなしにしない
埃だらけにしない
薄暗くて陰氣な感じにしない


ザっと私が氣をつけていること


風水でも最重要と言われる玄関
でも、風水とか関係なく

人を迎え入れる入り口であるから
常に氣持ちよくしておきたいと思う

例え誰も来なかったとしても
毎日、自分が出かけて
また、家に帰ってくる

送り出し
迎え入れる


その場を整える


靴は帰ったら下駄箱へ
そのとき、靴底を霧吹きの水(お清めの塩入り)で
拭いてから下駄箱へ入れる

ゴミは捨てに行く直前にしか置かないようにする
※前日にも置かない

掃き掃除→三和土を水拭き→から拭きする
毎日出来てはいないけど、、、
掃除はこのセットで

常に玄関の電氣はつけっぱなし
窓が無いし、広くもないので
出掛けるときもつけたままにして外出
帰ってきて真っ暗、という状況にはしない

出掛けるときと帰ってきたとき
火打ち石を鳴らす
お祓いの意味をこめて
特に、帰ってきたときは念入りに
外から持ってきたかもしれない
邪氣を祓い、家の中にいれない

「いってきます」と「ただいま」
ひとりでも言う。笑
忘れ氣味、、、だけど



玄関を綺麗に、と合わせて
敷居は踏まないこと
っていうのも
おばあちゃんから教わったこと

なぜなら

その家の主の額だから
踏んではいけないと

昔の実家の玄関は
まあまあ古い家だったから
玄関戸の下に土台(横木)があって
だからちょっと高くなっている
玄関を開けて入るとき
そこを跨がないと入れなかった


子どもにしてみれば
跨ぐには少々高さもあったから
踏んじゃうこともあったのかな?
覚えてないけど。笑



昔の家には文字通り

敷居を跨がないと家に入れなかった


そこに明確な境界があったんだよね
家と外との

「結界」


そう思うと、今の家って

「結界」が曖昧になったんだなーって

バリアフリーになって
スーッと外から家に入ってこれる
便利になったこともあるけど



私の玄関での儀式は、、、笑


その区切りのための儀式なのかもしれない


って、今思ったよ




おばあちゃん子だったから

おばあちゃんの知恵袋的なアレコレは
結構、私の暮らしに根付いている
、、、のかもしれない


今は便利だよね

なんでも調べたら
いろいろと出てきて教えてくれる



日本のしきたり

生活様式が変わると
忘れられてしまうこともあるのだろうか、、、




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