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石橋を叩きすぎてしまうのはどうしてなのか。


挑戦したいという気持ちはあるのに、
いろんなこと確認して確認して確認しないと始められない。


いや、そもそも始められずに終わってしまうこともたくさんある。

私は、石橋を叩きすぎて、
壊してしまうくらい叩いてしまう人間だ。


やりたいことや興味を持てることに対して、
最初の一歩がなかなか踏み出せない。


それでも踏み出した事柄で、
ありがたくも人生ここまでやってこれた気がする。



行動することを勧められてきた自分


自慢できることは何か
そう聞かれたら、必ずこう答える。

「人に恵まれていること」

私はこれまでたくさんの人に助けられてきたし、

たくさんの人に背中を押してもらってきたと思っている。

人間性としてまだまだ豊かでない自分が、
こんなに人に恵まれいるのは、
本当にありがたい話だ。

迷っている時、石橋を叩いているとき、
たくさんの人に、

やってみな!!!

と背中を押してもらってきた。


行動することを勧める自分


背中を押してもらって、行動をして、
結果として身となった経験が数えきれないほどある。

ゆえに、前に進めない人と対峙するとき、
「背中を押せる人でありたい」と強く思う。

他人にも、行動することを勧めたくなるのだ。


なぜ行動するのがいいのか


けれど、なぜ行動するのがいいのか

その理由は、
あんまり明確にはわかっていなかった。

行動し、結果として良かったと思えることが多い。
けれどそれはたまたまかもしれない。

他人にも適用できるものなのか。
次は自分も失敗するかもしれない。

なのに、行動してみることは何がいいのか。

考え続けて、最近気づいたことがある。

きっと、ほとんどのことには正解がないのだ。

結果として選んだ道が正解になることはあるけれど、
それはあくまで結果的にであって、

他の道を選び、それを正解にすることもできたのかもしれない。

先日友達に言われてなるほどと思ったことが、

諦めるまで失敗なんてない

ということ。


全部が全部そうなわけでもないが、
逆にいうと、ほとんどのことは当てはまることかもしれないなと、しっくりきた。

諦めなければ、
きっとその先には何らかの形があるんだから、

自分のペースでやってみる

ということを実践するのもいいのかもしれない。


なんか、根性論みたいだけど、

んー、ただの根性論ではない気もする。

と、自分でなんとなくしっくりきているけど、

だからと言って、今日明日で
石橋を叩くことをやめられる気もしない。

だから明日からは、

石橋叩きは昨日までの8割までに抑えて、

橋を渡ってみようと思う。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

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では。


どいあやみ。

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