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ギフテッドでも。そうじゃなくても。どっちでもいい。

私は、
<自称>ギフテッドである。

まぁ明確な定義や診断方法がないものであるから、
そうならざるを得ない部分もあるのだが。

自分がギフテッドかどうか。

私は、正直どっちでもいいと思っている。


IQ130ライン

ギフテッドの判断基準としてよく用いられるのが、
IQ130のラインだと思う。

IQ130以上あることが、ギフテッドとなんとなく証明できるものとなっている気がする。
まぁ、一つの指標としては大きく外れていないのだろうが、

私はそれに全く魅力を感じない。

「検査をして、いいスコアが出ないことが怖いのか。」

そうでもない。

じゃあ、なんで魅力を感じないのか。

それは、たぶん、
自分を誰かに評価されたくないからだと思う。

たしかに、WISCやWAISなどの知能検査を行うことで、
自分にどういう特性があるのかを、
ある程度可視化することはできるだろう。

自己理解を深めるためには良い材料となると思うし、
それを活用すること自体を批判したいわけではない。


自分のことは自分で知りたい

ただ、もちろんそういう側面もあるけれども、

私は、

私の体験を通じて、

私の考察を通じて、

自分自身を知りたい。

そう思っている。

だって、そっちのほうが楽しいもん!
(安直でごめんなさい、笑)

IQテストしてないのにギフテッド名乗らないでよ。
っておっしゃる方もいらっしゃりますが、

これは私の人生で、私の選択です。
自由にさせてください!◎


自称ギフテッドとは名乗る

ギフテッドであることの証明は
どうでもいいと思っているけれども、

私は、自称ギフテッドを名乗り続けようと思っている。
(今のところ)


ギフテッドという言葉、概念は、

私が長い間抱えてきたモヤモヤを少し晴らしてくれたから。

私が私について考えるきっかけをくれたから。

そして、

ギフテッドという言葉を通して、

出会うことのできた人たちがたくさんいる。
知ることのできた世界がたくさんある。


「ギフテッド」というワードは、
便利グッズとして、
私の人生に多大なる貢献をしてくれたものだ。
それは確実だ。


だから私は、

なにか、恩返ししていきたいというか、
同じような生きづらさを持っている人たちが、
少しでも生きやすい社会をつくりたいなぁと。
思っている。

そのために少しずつ行動を起こして行けたらなぁと。

そのためにギフテッドというワードを利用する。
便利グッズとして。

当事者会もそのひとつ。

私のちっちゃい活動が、

意味を生み出せているのかは、
まだ全然自信がないけれども、


心地よいと思ってきてくれている人たちがいるのは
すごくうれしい。

これからもっともっと、
いろんなことができたらいいな。



また、私が診断にこだわらない!と宣言することを通して、


診断が重要ではない。
ギフテッドかどうかが重要なのではない。

そのことを
身をもって示していきたい。
と思っている。



もっと大きくいえば、
カテゴリなんて、特性なんて

気にならないような、
心の広い社会になればいいな。

そんな社会をつくっていきたいな。


さて、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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現在私は、当事者会、メンター家庭教師などなどの活動をしております。
私の活動についても覗いていただけるとうれしいです♪

では。


どいあやみ。

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