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【読みたいことを、書けばいい。】もうね、タイトルからして魅力的なんです

読みたいことを、書けばいい。

タイトルが好きだ。

もう、これだけでいい。
タイトルを見ているだけで心地よくなれる。
そもそも、タイトルに句点があるのが格好いい。

本著を読み、私が感じたこと・考えたことを好きなように書く。
わざわざnoteに文字を起こしているくらいだから、それくらいすべきなんだろうが…
この本に限って言えば、あまり私の“言葉”で印象を濁したくない。

ということで、ひたすら引用する。
何かの縁で、この記事を目にしてくれた方が

「うん、なんかいいなぁ」

と共感してくれたら、それだけで幸いである。


“べつに「たくさんの人に読んでもらおう」と思って書いたわけではない。”
“大学に出した卒業論文を「皆さんぜひ、読んでみてください」とネット上に掲載する学生はほとんどいない。上司に提出した報告書を「感想待ってます」と発表するサラリーマンを見たことがない。そんなものは書きたくないのに書かされた上に、自分ですらもう読みたくない、ましてや他人はもっと読みたくないものだ。”
“あなたは、まったくだれからも褒められなかったとしても、朝出かけるとき、最低限、自分が気に入るように服を着るだろう。文章も、それでいいのだ。”
“読み手など想定して書かなくていい。その文章を最初に読むのは、間違いなく自分だ。自分で読んでおもしろくなければ、書くこと自体が無駄になる。”
“「また次も褒められよう」と思って書くと、だんだん自分がおもしろくなくなってくる。いずれにせよ、評価の奴隷になった時点で、書くことがいやになってしまう。”
“他人の人生を生きてはいけない。書くのは自分だ。だれも代わりに書いてくれない。あなたはあなたの人生を生きる。その方法のひとつが、「書く」ということなのだ。”


270ページある中から、選びに選び抜いた箇所が以上の6つである。

伝わっただろうか?
本当に、ただただ“引用”しただけ。
私が「いいなぁ」と思った文を“引用”しただけである。

たとえこの記事を誰も読んでくれなくても、私が何遍も読む。
そのたびに「いいなぁ」「いいなぁ」と思えるのだ。

読みたいことを、引用すればいい。
それでいい。

ただ…
ひとつくらいは私の考えを述べてもいいだろうか。

結局、他人のために書くのではない。
自分のために書く。
自己満足でいい。

その上で。
自分のレベルが上がってくれば、自ずと文章レベルも上がるだろう。
自分が「楽しい」と思えるレベルが上がればいいのだ。
《文章満足偏差値》みたいなものが高まれば、結果的に、いい文章が書けるようになってくる。
そう思い込むことにする。

最後に、もう一文だけ引用。

これで、本記事を締めくくりたい。
著者の言いたいことがギュッと詰まった一文。

結局は、これに尽きる。

“自分が読みたいことを書けば、自分が楽しい”

以上でございます。



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