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Orange Mug2.howling(相槌)

「続きまして、福岡県福岡市ラジオネーム"ビルビリ"さんからいただきました。ありがとうございます」



高山さん、こんばんは。
私、実は2年付き合っていた彼氏と先月結婚しました。新しい生活にあくせくしながらも、日々幸せを噛み締めています。



色々なことに手がつかない状況ではありますが、いつか夫婦で新婚旅行をしたいと考えているのです。そこで、高山さんの旅行おすすめスポットを教えていただきたいです。いつも二人で楽しく聴かせてもらっています。



「ということで、本当におめでとうございます!いやー、めでたいですねー。お幸せに!」



「ここで終わらせてやろうかなんて思ったりもしましたけれども、新婚旅行先ですか。実は私、海外はニューヨークにしか行ったことなくてですね」



「そういうのって、ハワイとかなんですかね?とにかく治安が良いところに行きましょう。新婚さんに死なれちゃ困ります」



「私がニューヨークに行ったのはビルビリさんみたいな楽しい思い出づくりじゃなくて、逃避行だったんですよね。自分の進路に悩んで」



「何かニューヨークならではのものを楽しめたわけではなかったですけど、人に助けられましたね」




「3年前になるのかな。時の流れは速いですね。笑えないよ、本当に」




AM 7:00



眠れなかった。



まともに開かない瞼をこじあけるようにカーテンの袖を引いた。



朝焼けのホワイトクリスマス。



いいホテルを取っていてよかった。



こんな冬のビル街の絶景、なかなか見られないだろう。



あの人は、もう起きただろうか。



寝ていても無理はない。



あれだけの時間、外にいたのだ。



シーツにくるまっているに違いない。



でも、この景色、見せてあげたいな。



スウェットから私服に着替えて、部屋を出た先のエレベーターを待った。



10階から3階へ。



隅っこの一部屋、本当に空いててよかった。



ドアを軽くノックする。



反応なし。



まだ起きてないのかな。



待って。もしかして逃げ出した?



まだ、諦めてなかったのだろうか。まずい。



でも、それならフロントから私に一報が入るはず。



いや、この状況がイレギュラーなんだ。誘拐だ、脅されてるなんて言えばホテル側もあっちに味方して




何してるんだ。早く入りな。




腰を抜かした。



黒髪短髪の青年が目の前に立っている。



「誰ですか?」



もう忘れたか。一晩、寒い中一緒にいただろうが。



あの男、こんな顔だったのか。



もっと渋い顔かと思っていたけれど、口調を除けば意外と普通の青年で少し拍子抜けした。



「まあ、取り敢えず入らせてください」



背中を押して強引に部屋に入っていった。



「いや、暗すぎ」



部屋のカーテンは閉め切られており、二つのベッドと二つの椅子、小さなテーブルに白いマグカップが一つあるだけ。



紅茶の優しい香りが、マグカップから湯気と共に立ち昇っているのがわかる。



「カーテン、開けないんですか?いい景色なのに」




開けない。




「そうですか」



私は窓際のベッドに腰掛けて、青年は隣のもう一つのベッドに



「あれ、そういえばお名前なんて言うんでしたっけ」




ナガツカ。




「長塚さん。下は、まあ聞かなくてもいいか。おいくつなんですか?」




先月で23歳。




「同い年じゃないですか。ナガさん?ナツさんかな」




もう、勝手にしてくれ。




「了解でーす。うん、それでですね、ナツさん。今からたくさん質問しますからね。覚悟しててくださいよ」



そう言いながら、カーテンの袖を掴む。




出て行け。




「分かりましたよ。開けませんから」



「それで、まず日本でナツさんに何があったのか教えてほしいですね」



ナツさんは逡巡しながらも、質問が終わるまでベッドから移動することはなかった。



不本意ながらもナツさんなりに、お金を払って泊めてもらった義理を感じてはいるのだろう。




本当にありがちなことだったんだよ。



大学受験に成功して大企業に就職できたはいいものの、ひたすら上司に身体を蝕まれる毎日。まあ、パワハラってやつだよ。



何をしてるのか、自分が本当に生きてるのか分からなくなって。



生きてるか確かめるために、死なないために、ここに来たんだ。



生き延びるために。



そしたら、




ナツさんは立ち上がって、黒のコートが掛けてある椅子まで歩いて行った。



コートのポケットをまさぐって




あいつに会ったんだ。




深緑の千切れた首輪を取り出した。



「あの猫についてたんですか?」




スタン。




そう言うと、ナツさんは私に近づいてきて、そこから何故か首輪を投げて寄越した。



「最初から投げればよかったのに」



首輪は皮の素材でしっかりとしていて、千切れている以外に目立った傷は見当たらない。



"STAN"



黄土色の刺繍で大きく縫ってある。




あいつは、スタンは多分、金持ちの猫だったんだよ。




ナツさんはゆっくり、確かに言葉を当てはめはじめた。




金持ちってヤツは大体が幸せじゃない。
何十、何百億も稼ぐスポーツ選手でさえ、半分は自己破産してるんだ。怖いもんだよ。



結婚すれば、家族のために金を稼げるようになるんだろうけどな。多分スタンの飼い主はそういう人がいないから、代わりをペットに求めたんだろう。



そこからはもう想像がつく。何にも困らなくなって、金を使うことに幸せも感じられなくなった飼い主は、その虚無感だったりストレスをスタンに向けるようになったんだろうな。




ナツさんは話している間、私の手元の首輪をじっと見つめていた。




綺麗だった。本当に、美しかったな。




その人が幸せだったかは、晩年に人生を振り返る瞬間に決まるとどこかで聞いた。



あなたが誰か他の人のために、こんなに優しくて哀れな微笑みができたなら、横で頭を撫でてくれるような人とあなたは出会えたのかもしれない。




ひたすらに自由を信じて、自分を突き進んだ最期なら悪くないな、なんて。



死ぬことから逃げてここに来たけど、結局は『完成』も『滅亡』も紙一重なんだとさ。あいつは『滅亡』と同時に『完成』したんだよ。



あいつに、全部気づかされたわ。




「ふざけないで」



こんなにも頭に血が上ったことはない。



激流となった血が頭に打ち付けられる苦痛を、右の掌に思いっきり吐き出した。



「あっ」



ナツさんの、血。



掌に掠れた赤。



ナツさんは、呆然としながらも自分の口元を手で拭って、赤くなった指先を凝視した。




ああ、あああ



ああぁ、あああうぁあ




ナツさんの目が不規則に廻りはじめた。



不味い。



うああぅあああぁあ




ナツさんの身体は大きく揺れだして、熱くなったモーターの制御はとうに効かなくなってしまっていた。



ナツさんが薄暗い部屋を暴れ回る姿を、非力な私は部屋の隅っこで見ている他になかった。



鉛を地面に打ち付けたような音が、振動が私の耳と胸の奥を不気味に、乱暴に揺らして。



「ナツさん、ナツさんっ」



叫ぶだけで、精一杯で。



それでも、引き金を引いた私には、ナツさんの溜まりに溜まった痛みを放つことを止めるなんて出来ない。



ナツさんが背負わされてきた責任を、背中に残る大きなしこりを撫でて癒すことなんて誰にも出来ないのだ。



もう、取れないから。落ち着くまで、泣き止むまで待ってあげよう。



それだけしか、出来ないのか。



カーテンの片方は開け放たれ、椅子は部屋の隅に吹っ飛び、マグカップの紅茶は香りと共にカーペットに染み渡っていた。



疲れ果てたナツさんは、差し込む陽射しに照らされて床に仰向けに倒れ込んでしまった。



「ナツさん」



頭を撫でてあげたかった。



それしか、思い浮かばなかった。



横から覗き込んだナツさんの顔は、赤ん坊のように幼く見えた。



陽射しに照らされる顔の脇に正座して、頭に左手を伸ばす。



顔に直に当たる陽射しも気にならなくて、今の私の全てはナツさんなんだって感じた。



そっと、頭を撫でる。



「ナツさん」



掌も、体も暖かい。



子供の頃から、こうしていたかったような気がした。



ずっと、心の何処かで願っていた気がした。



ごめんね。



ナツさんの瞼が、ゆっくりと開きはじめた。



「あっ」



右目だけが、滲んで赤くなっていた。



冷たい左目とは対照的に、右目だけが潤んでいた。



「ナツさん」



あなたは、どれだけの人生を、



どれだけを生きてきたのでしょう。



右目だけから溢れ出る涙が、私に訴えかけてきている気がした。



ナツさんの、人生全部の成れ果てか。




あぁ、会社入りたての頃にちょっと色々あってな。こんなになっちまったんだ。



泣くなよ。二人して泣いたら気持ち悪いだろうが。



俺みたいになっちまうぞ。




ナツさんは、私の右目をそっと拭って私に微笑みかけた。




ごめんな。




成れ果てに、させてたまるか。




おいっ!




私は反射的にナツさんの頭を抱えて、覆い被さるように抱きしめた。



「ナツさん、生きてください」



「ナツさんはまだ、あんなに苦しめるじゃないですか。怒れるじゃないですか」



「全身で、生きてるじゃないですか」



「スタンだって、最期まで懸命に生きたんです。でも、それすらナツさんに出会わなければ報われなかった」



「スタンを、解放させてあげてください。成仏させてあげてください」



「最期まで懸命に生きて、最高にボロボロで最高に綺麗なナツさんをスタンに見せてあげてください」



「どうか、絶対に生きて」



ナツさんは私の嗚咽が収まるまでずっと頭を撫でてくれた。



もう、昼時。




腹、減ったな。



ナツさんは私を抱き抱えて、ベットにそっと下ろしてくれた。



私の頭を撫でて、部屋の隅へと歩いていった。


ゴミ箱のそばに落ちていたあの首輪を手に取る。




ナツさんは、それを思いっきりゴミ箱に叩きつけた。



「ナツさん」




スタンに、最後のお別れしに行くぞ。



伝えたいこともあるしな。




私の手を取って、そっと抱き寄せる。




落ち着く。



「子供ですか」



そうかもしれん。



そう言うと、ナツさんは私の両肩を掴んで引き離し、一番の笑顔で




よしっ。まずはメシだな。朝から何も食ってないぞ。



「ナツさん」



「まず、部屋片付けないと」



スタッフが優しいホテルであると信じたい。


To Be Continued...

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