夢を見る。時々。(11)

 特別にならなければいけない。と思い込んだのがいつだったのか。なんとなく特別を目指す人生を送って、案外普通なんだね。という言葉だの、そんなもんなんだ。という言葉だのに苦しめられた。
 特別を目指す前は好きな事に夢中だった。私は歌を歌う事が何よりも好きで、高校生の頃、友人を誘ってはよくカラオケに通っていた。途中からは学校に通うより、カラオケに通っていたという方が正しいかもしれない。
 田舎の高校で、カラオケ店までの移動は60ccのバイク、いわゆる原チャか2人乗りが堂々と出来る90ccのバイクで通称、単車、もしくは自転車だ。地元の高校でも珍しく、バイク通学の許されていたところだった。
 自由な学校なんだろうと考えて、そういうところ好きだなと心の中で誇らしげだったが、実は交通の便がすこぶる悪い、ど田舎だったというだけの話。
 私は、高校に入ってごろごろごろと坂道を転げ落ちるように勉強をしなくなった。中学まで、とりあえず我慢、我慢と言い聞かせていたその我慢の限界が訪れたのだ。
 私は何を我慢していたのか?
 誰かに甘えたいな。とベットの中でぼんやり欲望を噛み殺して無表情に一点を見つめ、なんの根拠があったのか、もう少しの我慢だ。と言い聞かせ、横たわる自分を幽体離脱した状態で眺めた記憶があるので、甘えたかったらしい。多分、頑張っている自分を褒められたかったのかも。
 家にとにかく帰りたくなくて、自分の良いところを見つけてくれる友人達との時間が楽しくて、学年が上がる程、家から足が遠のいた。
 感性の合う友人や取り止めもない不安感を共有できる友人が高校に入るとよく見つかった。
 友人の家で軽い晩御飯をご馳走になったり、旅館をやっている友人の家で漫画を読んで過ごしたり、自転車を漕いで遠くの友人の家に勉強を教えてもらうと口実を作って遊びに行ってみたりと、とにかく家以外の場所で生活する事を好んだ。
 私は学区外と行って、自分の住む街から少しだけ離れた地域にある学校に行く事を選んだ。先生から進めれた。というのが理由だったので、対してその学校に行きたかったというわけではない。高校など正直どこでもよかった気がする。
 それは、今考えると、子供の頃から付き合ってきたその環境に住まう同世代以外の人間に触れ合う初めての機会だった。2車線しかないローカル鉄道の1番ホームと2番ホーム。
 多くの友人達が揺られて進む1番ホームでなく、2番ホームから私の乗る電車は出発する。県内でも繁華街に向かう1番ホームとどんどん田舎へ進んでいく2番ホーム。それは、交友関係に大きな変化が生み、自分が家での生活を窮屈と捉えていた事がお腹の底で言語化でないまでも、わかってしまった瞬間でもあった。
 もしも繁華街に向かう1番ホームに乗っていたら。
 たまに先生が言っていた言葉が蘇ってくる。
 お前はあんな人の多いところに行ったら、絶対勉強しなくなるし、ちょっと危ない。
 何言ってんだろう?とその時は検討が付かなかったけれど、先生は私をよく見ていた。勉強は私にとって、中学までの退屈を打破してくれる刺激だったのだ。刺激は田舎の高校で出会う同世代の友人達でも、初めて保護者なしで乗る電車でも十分なものだった。少しだけ自己判断を任せてもらえる年頃になってから出会えた彼らや外界は、勉強よりもはるかにはるかに面白かった。それでか、私は勉強をする暇を失った。
 当時遊ぶといえばカラオケで、朝から晩まで歌ってばかりいた。飽きもせずただただ歌った。友人の歌う知らない曲を聴いて、その歌詞に感動する。私に好きな曲をリクエストしてくれて、それを歌うと喜んでくれるのも、とてもとても嬉しかった。
 知らない歌を歌うと、その感情に浸り、そういう感情が世の中にあるのかと知ることが出来る。知らない人生を生きるようで、歌の世界にいる事がとても心地良かった。
 いわゆるPOPSでないものが、私の人生の前に初めて現れた瞬間は忘れられない。隣の席だった男の子でしんちゃんという人が居た。おっとりした印象の子でクラスに馴染んでいないようで、誰とでも仲の良いふわふわしてツルッとした蒟蒻のような男の子だった。
 ウォークマン貸して。と居眠りしていた彼が机に突っ伏していた体勢からほぼ顔だけをこちらに向けて、人懐こい声で言った。
 いいよ。というと彼は私があらかじめ入れておいたカセットをしばらく聴いてから、自分の持っていたカセットに入れ替えた。
 ちょっとだけ聴かせてくれた彼の趣味の音楽。こういうのが好きなんだ。と私の耳にイヤフォンを突っ込み、教えてくれた音楽が当時の私にはあまりにも遠くにあるものだった。と同時にかっこ良いというのと、自分がPOPSを聴いている事実がなんだか気恥ずかしく感じられたのだった。
 そういう、いわゆる真ん中っぽいもの以外も理解できるようになりたい気持ちが生まれたのも、もしかするその頃だったのかもしれない。
 世間知らずだったのも手伝ったし、失恋したのも手伝って、心はカチカチのまま、音楽で食べてやる。と気合十分で東京の歌の専門学校に通ったけれど、男の人から好きと言われる事が増え始めると、甘える心地良さに負け、振った相手を見返してやる。なんて目標も忘れて、続け方もわからなくなって歌うのを辞めた。
 私はいつ特別になりたかったの?と過去を探ってみたら、そんなに特別になろうとしていなかった。
 自分に正直に生きている。それを周りがとやかく言っていたから、特別でないといけないような気がしていたみたいだ。
 案外普通。という言葉から、言ったその人をがっかりさせてしまった。と落ち込んだけれど、お前が私の元々の何を知っている?って話だし、そんなもんなんだ。という言葉も、何とくらべられていたのかわからないし。
 まず、それを人に言えてしまう時点でどうなのか?という話。
 もうあの頃じゃない。戻れない。時はここで絶え間なく今も動いている。間に受けた様々な言葉が原因で、今目の前で起こっている刺激に心を振るわせないでいるのは、あまりにももったいないことだ。
 私は、普通に生きるだけにした。自分の好きな事を大切にする人生を生きるだけに、これからはする。

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