日常に題名がない(1)

 夫が本社に行くという。7時少し前に家を出る夫を見送り、二度寝しようと階段を上がり寝室に戻る。私は自宅で働いているので、後1時間くらい眠ってしまっても、問題はない。
 眠りに入るのはそこまで得意ではないはずだったのだが、眠る事が得意な夫と暮らしていると、見様見真似で眠ることも上手くなるものなのだろうか。すっと寝に入っていて、目を覚ますと1時間ほど時間が過ぎていた。ここのところ、滅多に目覚ましはかけない。不思議なもので決まった時間に大体、目が覚める。
 ベットから滑るようにころんと抜け出す。フェイクファーのスリッパをはいて、階段をとてとて降りる。
 もうちょっと寝ていたかったな。と独り言を頭の中で言いながら、昨日買った、あんこの練り込んである食パン二切れと、コーヒーで朝ごはんにする。
 食パンを食べながら、誕生日が3ヶ月くらい前だったなと、その時立てた目標を見返してみると見事に挫折していた。挫折していた事にすら本人が気が付いていないレベルで、生活から消えていた。
 パソコンに入力されている、目標を眺めながら、確かに自分に足りないものを分かってはいると感心する。が、都度、挫折したことからしっかりと忘れられるのは、何故なのか?知りたい。聞きたい。けど自分自身の事。本当にあの時とここの私は同じく本人なのだろうか。
 微かに書いた記憶が残っている。そして、目標を書く時、いつも私はとても楽しい気持ちなのだ。
 ふと閃く。もしや、私は分析が好きなのではないか?私が出来たら、多分すごく良いこと見つけたぞ。の部分が楽しいって事ないだろうか?だとしたら、喜んでいる場合では全然ないよ。と伝えてください。そこで止まるくらいなら、2度と見つけないでください。とすら自分に頼みたい。
 よくよく噛み砕いてみて、残念ながら、あながち間違っていない気がした。
 私はずっと探しているだけなのだ。探して見つけるけれど、それをどうすれば良いのかは、特に思い付いていないらしい。
 目の前に現れて、一旦乗り越えた感じにして、こう感じたんです。おしまい。を続けてきたって訳だ。透明である為だったような。何か外にあらかじめ備えられている、正しさに従う為だったような。
 だけど元々、そんな風に生きていたのだっけ?
 良かれと思って自分で自分にこんな風に生きる呪いをかけたようなかすかな記憶が蘇ってくる。それは、その瞬間は生きる為の呪いだったような気がする。けれど、今この呪いで覆い隠しているものが、私にはとても重要で、必要な、私自身である感じがする。
 口づけで目覚める。みたいなタイプの誰かに逆恨みみたいなのでかけられたやつじゃないので、自分で起こさないといけない。
 今度は生きる為にこの呪いを解く。生きる為にかけた呪いが、いつからか自分を殺す本来の呪いの姿にひっくり返っていたのだ。
 チキチキチキと外から、機関銃みたいな鳥の声がする。結構うるさい。飽きもせずにずっと鳴いている。場所を少しずつ変えて、どこからかずっと鳴いている。それが、少し美しくて面白いのだ。
 時間をかけて眠り方を覚えたし、朝の迎え方も少しずつ、私は、楽しめるようになっていた。

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