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定量化原理主義者

前回のブログでも述べさせていただいたが、なぜ多くの日本の企業は、「グローバル人材育成=英語力アップ」というフォーカスがずれたところでぐるぐる回っているのだろう。
英語力はもちろん重要である事は前回も述べたが、ビジョンがあっても、それを論理的に説明できない。ビジョンもロジックもあるが、それを語るスキルを持っていない。目の前にいる人たちは自分とバックグラウンドが全然違うのに自分と違う価値観を受け入れない。そんな人が英語力だけ高くても意味がないのである。

私は拙著「パーソナル・グローバリゼーション」でそのことを訴え、セミナー・ワークショップとして日々ビジネスパーソンとディスカッションを続けている。私が2000年に起業したグローバル・エデュケーションではそのことを、粘り強く訴えてきている。しかし、残念なことに、業界トップ3に入るような企業でも、今でもグローバル人材はまず英語力というところで帰結し、英語力のテストを定量的に測ることにプライオリティーに置くことがしばしば起きる。

逆に考えれば、日本で活躍したい外国人が、日本語の検定試験で一級を取得して日本にやってくる。その人には明確なビジョンも戦略的な思考力もなく、その人物の国の文化・価値観に偏りが強く、日本的なコミニュケーションのスタイルも理解していないとしたら、その人が果たして日本社会で活躍できるのだろうか?

「定量化原理主義者がもたらす弊害」

以前あるグローバル企業(外資系)の企業で人材育成を専門としていた人物が、日本の大手企業に誘われてグローバル人材育成の部署を任された。
その人物は、その企業の人材を定性・定量面で分析し、今すぐに必要なグローバルリーダー・マネージャーの育成とそのストックとなるグローバル人材育成のプログラムを私のチームと協力して効率的に作り、役員会で提案した。

その提案は、全く理にかなったものであり、そのスキームを続けていけば、5年以内にその企業は組織文化を大幅にグローバル市場に適応できるものに変革し、幹部以上のグローバル度は大幅に向上するものであり、かつコストもミニマムに抑えていた。

結果は、非常に影響力のある1人の役員のこんな言葉でぶち壊されてしまった。

「これだけの額を投資するのであれば、結果が定量的に出なければならない。そんなことはあなたにもわかるだろう。DX、グローバルマインドだとかダイバーシティーだとか、流行の言葉はいらない。そんなものは定量化できないからだ。第一この厳しい市場の中で、各部署のトップクラスの人材を月に2日間も半年間拘束するなど論外だ。」
いわゆる「定量化原理主義者(定量化お化けともいう)」だ。

その結果結局採用されたのは、英語のテストの点数を上げる(すなわち定量で測れる)テスト対策コースと英会話レッスンだった。

役員会で様々な意見が出る事は好ましいことであるが、他の役員からもこんなに非論理的かつ理不尽な意見に異論が出ないばかりか、その人物の顔色ばかり伺っている様子が見えた。

この人物は、その会社の将来性を悲観して、辞めることを決断した。
自分自身の専門性をそんな場所で消耗させてしまうことに意味を見出せなかったからだ。

写真は、湯河原吉浜海岸の私のオフィスの海の見えるデッキにやってきたキジバト。このブログはSiriでiPhoneに向かって書いているので、それを聞いたキジバトが「その通り!」と私に同意してるのだ。

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