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グローバルとデジタルが一緒にやってきた憂鬱

グローバル人材の育成に携わってかれこれ30年以上が経過した。現場にいるとよくわかるのだが、大手日本企業のエリートの方々の多く(おそらく8割位)のホンネは「できればグローバル人材になりたくない」である。

正確に言うと、もし自分の脳にグローバルチップ(そんなものはないが)を埋め込んで、翌日からグローバル人材になるのであれば、それは「ぜひ!」となるのだが、ただでさえ忙しい日々の中に、新たな努力をするのは勘弁してほしいという感じである。

ただここにきて、もう一つ厄介な「デジタル」というわかるようでわからないものが出現した。「グローバル」だけでもまだインストールできていないのに、それに加えて「デジタル」であるから、これは多くの中高年サラリーマン・サラリーウーマンにとっては「憂鬱」以外の何物でもない。

よく「デジタル」と言うと、古い人はExcelができるとか、データベースに関して理解しているとかのことをイメージするが、別にそういうことではない。
私の世代では、スマートフォンを使ってLINEができれば賞賛される^^

最近よく使われる言葉「デジタルトランスフォーメーション」とはデジタルを使って課題解決ができるかどうか、ということである。

身近なデジタル初級レベルの例で言えば、グローバル・エデュケーションでは、私の後任の福田代表が導入した3つのデジタルツールを使って仕事の効率化が大幅に向上した。
その3つとは、Zoom, Box, Slackである。

もしこの3つのツールを使うことを禁じられたら、グローバル・エデュケーションは日々の業務の半分はストップしてしまう位の影響力である。

そして、この3つのツールを使いこなすには、グローバルスキルが必須である。英語力は当然必要であり(海外の大学教授との英語でのzoomミーティング、スラックでのコミュニケーションなどなど)、それに加えてオープンでロジカルなコミュニケーションスタイル、価値観の違う人を受け入れ協働できるダイバーシティースキルなどが自然に使えなければならない。
社員はほとんど20代から30代であるが、全く問題なく日々仕事をこなしていっている。

ここに何回教えても、Boxの使い方がわからず、Slackでのコミュニケーションに、毎回「お世話になっておりますとかお疲れ様です」を入れないと機嫌が悪くなる「昭和マインドセットな人」は煙たがられる(グローバル・エデュケーションにはもちろんそんな人はいない)
外国人のパートナーに、簡単な質問をするのに、2時間もかけてEメールを書く人もついていけないのだ。

ただ大手企業の40歳以上の1000万円以上年収をもらっているエリートの方々にもそういう人がたくさんいるのだ。こういう方々は変化は好まない。今までの仕事の仕方や人間関係の作り方に関しては非常に優秀で頭も良いからここまでは順調なキャリアであった。ただ「今までとこれから」は違うのである。

何か冷たいことを言うようで恐縮であるが、この人生は、グローバル化デジタル化が起きてしまった現実の中で、果たしてサステイナブル(持続可能)なのだろうか?

現実はそんなに甘くない。そんな人たちをたくさん抱えながら、グローバル競争に勝てる事は全くありえないのだ。

最近メディアによく出てくる早期退職制度の推進(退職金に何千マン円も上乗せして辞めていただく)のは、その方たちが年収の割に貢献度が低いことだけではなく、若手に悪い影響を与えて優秀な人材を辞めさせるきっかけになってしまうからである。

だから私は強く「パーソナル・グローバリゼーション(自律的に主体的に日々の生活の中で自分をグローバル適応できる人間に変えていくこと)」を訴えている。
そしてその中に、あっという間にデジタルという概念が、自然に加わってしまったのだ。

グローバリゼーションとデジタライゼーションが一緒にやってきた今、そして医療改革とライフスタイルの変化からより長生きする人生の中で、ダーウィンの進化論「強いもの賢いものが生き残るのではなく、変化に適応できたものが生き残る」は、今こそ自分に置き換えて真面目に受け止める必要がある。

今の40歳は、どう考えても年金が支給される時期が大幅にずれて、70歳から80歳になってしまう。80歳になってしまったら、あと40年間も何らかの形で収入を得ていなければ生きていけない。

まとめると、今回私が申し上げたい事は、「もしこのブログを読んでいるあなたが、いわゆる高年収のエリート層に属している場合は、自分にはグローバルもデジタルも関係ないという考え方を冷静に再チェックしてみたらどうか。自らをデジタルを使って課題解決のできるグローバル人材に変革することが、自分自身の人生のリスクマネジメントである」ということである。
このことに早く取り組まないと、近い将来にもっと重たい「憂鬱」が自らを襲うかもしれないのだ。

写真は愛車、ハーレーのFortyEight。もう歳なので街中をトロトロ走りながら風を楽しんでいる。


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